アテナを囲んでの最後の晩餐を終えた翌日から、青銅聖闘士たちのサバイバル特訓は否応なく始まった。 朝夕 味気ない錠剤を飲む他は、何もすることのない退屈な生活。 日に一度、臨時の医療センターで、体重の変化や各種臓器の様子、血液の成分を調べられ記録されること以外には、被験者たちには外界からどんな刺激も与えられることはなかった。 この島には、本もテレビもパソコンも、楽しめるような風景もない。 もちろん命懸けのバトルも、他人に強制される過酷な特訓も修行もない。 平和といえば平和、自然といえば自然な日々の中で、アテナの聖闘士たちは時間を持て余し、次第に苛立ちを募らせていったのである。 望まない試練、決して恵まれているとはいえない境遇――かつてアテナの聖闘士たちが、アテナの聖闘士になるために与えられたもの。 そして、アテナの聖闘士になった後に、否応なく向き合わされてきた望まない闘い、望まない勝利と敗北。 それらのものが慕わしく感じられるほど、“何もない日々”というものは虚しいだけのものだった。 天は、好意で人間に試練を与えてくれているのではないかと思えるほどに。 乗り超えるべき何かがない人間は生きていないのと同じだと思えるほどに。 「ケーキなんか、バイトしてでも買えるだろ。氷河が1日ホストクラブの雇われホストになって、有閑マダムに媚び売ってみせりゃ、ケーキの100個ぐらい余裕で買えて、瞬は大喜びだ。なのに、なんで俺たちは、たった1個のケーキのために こんな苦痛に耐えなきゃなんないんだよ!」 毎日島を100周ジョギングしても余る時間に うんざりした星矢が、ラウンジ代わりの砂浜で 仲間たちを怒鳴りつけたのは、サバイバル実験が始まってから僅か3日目の午後のことだった。 「おまえの言い分はもっともだが――なら、リタイアするか? ペナルティは特にないようだし」 自らトラブルの中に頭を突っ込んでいくのが趣味のような星矢には、確かにこの無為の日々はつらいばかりのものだろう。 そう考えて、紫龍は 星矢に水を向けたのだが、星矢は仲間の提案を即座に却下した。 「それは嫌だ」 星矢の意外な答えに、紫龍が瞳を見開く。 星矢は口をとがらせて、彼がこのサバイバルに挑み続ける理由を仲間に告げたのである。 「俺、青銅聖闘士最弱って言われてんだぜ。いっつも最後まで残って、ラスボスと闘うのは俺なのにさ。この機会に汚名挽回するんだ」 「汚名を挽回してどうする。汚名は返上するものだろう」 「ま、そうとも言うらしいけど」 紫龍の的確な突っ込みに動じる素振りも見せず、星矢は真顔で頷いた。 この分だと星矢は、自ら望んで名誉を返上したり撤回したりしかねないと、紫龍は嘆息したのである。 「青銅聖闘士最弱は氷河だろう」 そこに、やはり苛立ち気味の一輝が口をはさんでくる。 その発言は星矢を力付けるためのものではなく、明確に氷河への嫌味だった。 「十二宮でも倒せたのは自分の師匠一人だけ。カミュは貴様に弱みでも握られていたんだろうな」 自分のみならず師まで侮辱するような一輝の言い草に、氷河がさすがにムッとする。 彼は、瞬の兄にちらりと蔑みの一瞥を投げると、あざけるように言葉を吐き出した。 「仲間が命懸けの闘いに挑んでいることを知りながら、体力温存を図って、いつも途中から現われる卑怯者は、よほど自分の戦闘能力や体力に自信がないんだろうな」 「なんだとっ」 平和な無人島の午後の砂浜に、一輝と氷河が一触即発の緊張感を漂わせ始める。 2人は今にもバトルに突入しかねない形相を呈していた。 それが暇潰しになるのなら死闘でも何でも繰り広げればいいのだ――という本音を押し隠し、紫龍は「まあまあ」と、2人の間に割って入ったのである。 この場を丸く収めることができるのは瞬しかいないことを知っている紫龍は、気が立っている2人の仲間をなだめつつ、瞬の方へと視線を巡らせた。 その視線の先で、瞬は、兄と氷河の殺伐状態に気付いた様子もなく、夢見る眼差しをクリームにも似た海上の白い雲へと泳がせていた。 「僕が勝ったら、ケーキは特注サイズにするんだ。1個だけって言われてるけど、大きさまでは何も言われてないもの」 (脳裏に描かれた幻想の)ケーキの前にいる瞬に何を言ったところで、すべてが徒労に終わることは目に見えている。 氷河と一輝の不機嫌は、退屈な時間のせいではなく、瞬の視線が自分に向けられていない不愉快ゆえのことに違いなかった。 実際、独り言のような瞬のその呟きを聞くと、氷河と一輝の戦闘意欲は急速にしぼんでいってしまったのである。 不幸な瞬の兄と恋人の姿に同情しつつ、紫龍は、この島に来てから約100度目の溜め息を洩らしたのだった。 |