(アテナの聖闘士の)友達の詩






トレーニング中に那智に投げ飛ばされて瞬が泣いていたのは、つい15分前のこと――と、星矢たちは記憶していた。
いつもなら兄一輝に叱咤されて30分以上の時間をかけ少しずつ涙を乾かしていく瞬が、今日に限っては既にすっかり涙の消えた顔をしている。
先にトレーニングルームを出て城戸邸の庭でくつろいでいた星矢と紫龍は、何やら憑き物が落ちて きょとんとしているような瞬の顔を、当然のことながら訝ることになった。

そんな星矢たちの側に、瞬がとことこと歩み寄ってくる。
星矢たちが直射日光から避難していた楡の木陰の中に入り、緑の下草の上にすとんと座り込むと、瞬は真顔で星矢と紫龍に尋ねてきた。
「僕と星矢たちは友だちだよね?」
「へ……?」
瞬は突然何を言い出したのかと訝りつつ、それでも星矢は、とりあえず問われたことに答えたのである。
「だと思うけど」
「そのつもりでいるが」
二人の仲間の答えを聞いた瞬が、ほっとしたような顔になる。
それから瞬は改めて、再び怪訝そうに首をかしげた。

「僕は、星矢や紫龍に『お友だちになってください』なんて言ったことはないけど、でも、僕たちは友だちだよね?」
「んなことは、俺だって言ったことも言われたこともねーけど、でも、んなこと言ったり言われたりしなくても、友だちにはなれるもんだろ」
星矢の言葉に、瞬が心許なげな様子で こくりと頷く。
瞬もそう思っていたのだ。
つい10分ほど前までは。

「友だちというのは、こんなふうに顔を合わせたり話をしているうちに自然になるものだろう。なろうと意図してなるとか、ならなければならないという義務感に急き立てられてなるとか、そういう類のものじゃない。言ってみれば、自然な流れで いつのまにかなっているものというか、成り行きでなるものというか、そんなものじゃないか?」
「うん……」

紫龍の考えは、瞬の認識とほぼ一致していた。
自分と同じ考えの者がただ一人でもいることを知れば、人は大抵その事実に安堵し、自分の考えは普遍的かつ一般的なものだと思い込むものである。
自分の意見に賛同してくれた者が、世界で唯一の賛同者であるかもしれないという可能性など考えもせずに。
そうして彼等は、極めて偏った主張を同じくする同志として一つの党派を作ることになるのだ。
成人でもしばしば 陥ることのあるその落とし穴に 幼い瞬が落ち入らずに済んだのは、自分と異なる考えの持ち主が この世界にいることを、彼がつい先刻知らされたばかりだったから――だった。

「どうしたんだよ、いったい!」
まだ何かが心に引っかかっているような様子で俯くように頷いた瞬を、星矢が焦れったそうに問い質す。
星矢は、瞬にこんなふうに歯に物の挟まったような物言いをされることが、あまり好きではなかった。
もちろん、それは、彼等が友だち同士であることを妨げるほど大きな問題ではなかったが。
星矢に急かされた瞬が、その性急さを不快に思った様子もなく“友だち”の求めに応じる。
ちょっとした性向や性癖の違いは軽く流してしまえるほどに、彼等は“友だち”同士だったのだ。

それはともかく、せっかちな星矢に瞬が困惑顔で告げた言葉。それは、
「氷河にね、さっき『オトモダチになってください』って言われたの」
――というものだった。
「はぁ?」
「僕、氷河と僕は友だちだと思ってたから、びっくりして、そんなこと急に言われても どうすればいいのかわからなくて、何て答えればいいのかわからなくて、それで逃げてきちゃったんだ……」
「うーん……?」
「それはまた――なんとも」
氷河が瞬に告げたという その言葉は、星矢と紫龍にも今ひとつ理解し難い発言だった。

無愛想で口数が少ない氷河は、城戸邸に集められた子供たちの中でも特に珍奇な子供だった。
星矢たちは彼の態度の素っ気なさを、最初は日本語がわかっていないせいなのだろうと思っていたのだが、そうではないことは共に暮らしているうちに皆の知るところとなった。
彼は、他の子供たちと異なる容姿をからかわれると日本語で反論してきたし、ある時など、誰に聞かれたわけでもないのに延々と母親の自慢話を日本語で語り続けたこともあったのだ。

そんなこともあって、星矢と紫龍は、氷河を変な奴だと思いはしても、悪い奴ではないと認識し、瞬同様、彼を自分たちの友だちだと思っていたのである。
今更『友だちになってくれ』と言われたら、それが瞬でなく星矢たちだったとしても、彼等は困惑していたに違いない。

「氷河ってさ、日本で生まれ育ったわけじゃないんだろ? 氷河が前にいた国では、そういう決まりだったんじゃないか? 『俺たちは友だちだ』って宣言しないと、正式な友だちってことにならないとかさ」
星矢の推測を聞いて、瞬が真っ青になる。
それは、瞬にとっては捨て置くことのできない大変な事態だった。

「じゃ……じゃあ、氷河はこれまでずっと、僕たちのことを友だちじゃないって思ってたの? 自分に友だちはいないと思ってたの?」
「いや、それは、俺は氷河じゃないからわかんないけどさ。そういうこともありえるかなー……と」
「そんな……。だから氷河は寂しくて、ちょっと変だったんだね……! 氷河、かわいそう……」

瞬はすっかりそう・・なのだと信じ込んでしまったようだった。
そして、これまで――たった今も――友だちのいない氷河のために涙を零す準備が万端整った瞬の様子を見せられてしまった星矢は、今更それは無責任な当て推量だとは言いにくくなってしまったのである。
「僕、氷河に僕たちは友だちだって言いにいかなくちゃ……! 僕たち、もうすぐ別々の場所に送られちゃうんだよ。氷河が自分には友だちがいないんだって思い込んだまま、みんなと離れちゃったら、氷河は遠いところで一人ぽっちで悲しくて死んじゃうかもしれない……!」

あの氷河に、はたしてそんなデリカシーがあるのだろうかと疑う気持ちがないわけではなかったのだが――むしろ、大いにあったのだが――既にたっぷりと瞳を潤ませている瞬に、星矢と紫龍は彼等の疑念を伝えることはできなかった。
そうこうしているうちに、友だちのいない氷河に対する瞬の同情心はどんどん大きくなり、それは噂に聞く聖闘士の小宇宙もかくやとばかりの勢いで城戸邸を覆い始めていた。

「ね、僕たちだけじゃなく、みんなで氷河のとこ行って、僕たちはみんな氷河の友だちだって、氷河に教えてあげようよ!」
「ええ〜っ !? 」
自分がいつのまにか『氷河お友だち宣言』の同志にされていることに、星矢と紫龍は非常に当惑したのである。
が、自分の思いつきに気持ちが弾んでいるらしい瞬は、星矢たちの困惑に気付いた様子も見せなかった。

――城戸邸に集められた子供たちの中に、瞬の計画に乗ることを渋る者がいなかったわけではない。
しかし、瞬が積極的に仲間たちに働きかけることは珍しく、また彼のバックに一輝がついていることを知っている彼等は、氷河のためというよりは我が身の保身と瞬のために、結局は 瞬の提唱する計画の一翼を担うことを承知したのだった。

瞬の計画とは、すなわち、城戸邸に集められた100人弱の子供たちが全員揃って氷河のところに行き、
『俺(僕)たちと お友だちになってください!』
と、声を揃えて彼に告げる――というもの。
その計画は、その日のうちに速やかに実行に移された。
なにしろ彼等には時間がなかったのだ。
明日にはもう、各々の修行地に向かう最初の一団が日本を発つことになっていた。






【next】