「で、おまえは結局、苦楽を共にした仲間たちと『おえ〜』で別れてきたのか」 氷河の師は、彼の弟子の言葉に 思い切り呆れた顔になった。 「俺は変質者の友だちなんかいらないんだ。俺は瞬だけと友だちになりたかったんだ。他の奴等なんかどーでもよかったんだ。あいつら みんなヘンタイだったんだ」 文脈の構成能力に難のある彼の弟子は、自分のとった行動に問題があったとは露ほどにも考えていないらしく、憤然とした態度で、彼の師に頷き返してきた。 「……」 どう考えても、氷河の言う“友だち”と氷河の仲間たちの言う“友だち”は、その意味するところが違っている。 そして、この場合は、どう考えても、氷河の認識の方が一般的ではない――と、氷河の師は思った。 幼い氷河には『その人だけと特別に親密になりたい』と感じる心を何と呼ぶのかが わからなかったのだろうが、それにしても、『お友だちになってください』の返答が『おえ〜っ』というのは、氷河の“お友だち”たちに対して失礼が過ぎるというものである。 「おまえの言う“友だち”とはどんなものなんだ。おまえはそのシュンという子と、どういう友だちになりたかったんだ?」 問われた氷河が、しばし考え込んでから師の質問に答えてくる。 その頬は、生意気にも ほのかに朱の色に上気していた。 「瞬が俺をいちばん好きで、俺も瞬がいちばん好きで、瞬は俺だけを見ててくれて、俺も瞬だけを見てて、俺と瞬はいつも一緒にいるんだ。マーマが俺にしてくれたみたいに、俺は瞬を抱きしめてやって、キスもしてやる。瞬は可愛くて優しいから、瞬にそういうことしたら、俺はいい気分になれると思うんだ」 「そういう友だちか……。おまえ、そういうことを言うのは、10年早すぎたんだな」 「早すぎた?」 “友だち”になるのに早すぎるということがあるのだろうかと、氷河は正直、師の言葉を疑うことになったのである。 遅すぎて後悔するよりは早い方がいいだろうと考えて、氷河は瞬に告げたのだ。 『俺のお友だちになってください』と、使い慣れない丁寧語を駆使し、思いの丈を込めて。 二人がまもなく離れ離れになることはわかっていた。 最悪の事態――二人が二度と会えないという事態――があり得ることも、氷河は知っていた。 だから――あの願い事が早すぎる願いだったということは決してないはずだった。 氷河の いかにも納得できないと言いたげな顔を見て、氷河の師が彼の弟子に苦笑を向ける。 「まあ、とにかく、おまえは今は聖闘士になるために懸命に修行に励むことだ。そうして、もう少しオトナになってから、もう一度『お友だちになってください』とその子に言ってみるんだな。そのシュンという子が よほど鈍感な子でない限り、おまえの真意をくみとってくれるだろう。その子は、おそらくおまえより はるかに純真な子だったんだろうな」 「う……ん?」 師の助言の意味は、氷河には完全に理解できるものではなかったのだが、瞬が褒められたことだけは氷河にもわかったので、彼は気をよくした。 そのせいで、氷河は彼の師の呟きを聞き逃してしまったのである。 「しかし、城戸光政という男は、自分の息のかかった聖闘士を育てるために、女の子まで駆り集めていたのか。極悪非道な男だな……」 氷河の師の胸中には、この時、城戸光政という人物に対する根強い不信感が生まれ、それは彼ののちの行動に少なからぬ影響を及ぼすことになったのだが、それはまた別の話である。 幼い氷河に 彼の未来に待ち受ける悲劇に考えが及ぶはずもなく、彼はその夜、子供らしい期待と希望を胸に、就寝することになったのだった。 アンドロメダ島とシベリア。 大人たちの勝手で引き離されてしまった二人が次に出会った時――その時こそ、自分は瞬と本当の“お友だち”になれるに違いないと、氷河は信じていた。 信じることが、彼に極寒のシベリアで生き、つらい修行に耐えるための力を与えてくれた。 いつも瞬と一緒にいられたら、いつも瞬を見ていられたら、どんなにいいだろうと思う。 瞬と正式なお友だちになったら、その時には、他の誰にも瞬に馴れ馴れしくさせず、瞬が他の誰かと親しくするのも許さず、瞬が自分のためだけに笑ってくれるようにするのだと、氷河は固く決意していた。 自分は、つらい修行に耐え抜いて聖闘士になり、必ず日本に帰る。 そして、瞬にもう一度『オトモダチになってください』と言うのだ――と。 しかし、“友だち”というものは、氷河一人だけで成立させられる関係ではない。 二人が本当に友だちになるためには、瞬という存在が必要不可欠だった。 そのためには――。 (瞬……どんなにつらい修行も耐え抜いて、頑張って生き延びてくれ。聖闘士になんかならなくていいから、必ず生きて帰ってきてくれ……!) いつも些細なことで泣いてばかりいた瞬。 トレーニングがつらいと言っては泣き、仲間と闘うことを強要されては泣き、怪我をした仲間の姿を見ては泣き、そして、母を失った仲間のために泣いてくれた瞬。 そんな瞬が、たった今も、修行のつらさや寂しさのせいで泣いていたらと思うと、それだけで氷河は胸が潰れてしまいそうな気持ちになった。 そんな日々に、もし瞬の心と命が耐え切れなかったら、その時には、氷河自身の“友情”も行き場を失ってしまうのだ。 (生き延びてくれ、瞬。生きていてくれさえすれば――生きてさえいれば――) それが恋であれ友情であれ、人は“希望”を糧に、人への思いを育む。 その事実を知っている者だけが、 Fin.
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