「プラトニックで切ないお話をお願いします」とのことでした。 愁さん、リクエスト、どうもありがとうございます! プラトニックで切ない系の話! わたくし、大得意でございます! (……こんな大嘘をついてまで、私は見えを張りたいのでしょうか;) さてさて、私は、世に出回っている楽曲をリクエストのお題にいただいた時、必ず言わせていただく言葉があります。すなわち、 「私は自他共に認める日本一の芸能オンチです」 という言い訳。 これはもう、お約束ですので、今回も言わせていただきます。 「私は自他共に認める日本一の芸能オンチです」 はい。そんな私ですので、中村中さんとおっしゃる方も この歌も、私はもちろん存じあげませんでした。 なので、お題をいただいて早速歌詞を検索。 その歌詞を読んで、私が最初に思ったことは、 「これは思春期真っ盛りの中学生が書いた詩?」 ――でした。 『思春期の頃の心を忘れずにいる大人』が書いたのであれば、どう考えたって、この続きを書きますよね。 「そんなふうに、自分は臆病だったけど、これからは」と書かずにはいられない、それがオトナというものです。 でも、この方はそこを書いていない。 で、更に調査(?)を続けましたら、この詩は中村中さんが本当に15歳の時に書いた詩だということがわかり、「なるほど〜」と納得。 更に、この方が性同一性障害をカミングアウトなさっている方と知り、存外 この方は、一般的に大人と見なされる年齢になっても、この15歳の気持ちを保ち続けている(というか、捨てきれずにいる)方なのかもしれないとも思いました。 リアルで思春期。もしくは、現在進行形で思春期。 いずれにしても、この歌の歌詞が表わしている気持ちは、いわゆる大人になってしまった大人が思い出す思春期の気持ちとは迫力が違います。 「とにかく、じゃあ私は思春期な頃の氷河と瞬ちゃんの話を書けばいいのねっ」と話の方向性を決めたところで、問題が一つ浮上。 それは、「氷河と瞬ちゃんには、果たして思春期なんて優雅なシーズンがあったのだろうか?」という問題です。 彼等は、その時期 修行に明け暮れていて、こんな思春期思春期した思いは経験したことがない――ような気がするのですね。 フツーの少年少女が 友達と恋人の間で揺れ動く切ない気持ちを楽しんでいた頃、氷河と瞬ちゃんの目の前にあったのは、生と死の間を行き来するスリリングな日々だっただろう――と。 そして、思春期をすっ飛ばして聖闘士になった氷河と瞬ちゃんは(『大人になった氷河と瞬ちゃんは』ではない)、多分その後も、そんな思春期の切ない思いに浸っている余裕はなかったに違いないと思うのです。 かくして私は、「氷河と瞬ちゃんには思春期らしい思春期などなかった」という結論に至りました。 でも、だからこそ、思春期らしい思春期を過ごすことなく聖闘士(≒大人)になってしまった彼等が、今更 思春期めいたことを考え始めたら、すごく面白いだろうとも思った。 (ほんと、この何でも面白がる癖をどうにかしたいです;) そんなこんなでネタを考えている時に、私は、私が高校生だった頃の出来事を思い出しました。 子供の頃から親に逆らったとこもなく、非常に大人しく、自己主張らしい自己主張をしたこともなかった ある女性。ごくフツーに学校を出て、ごくフツーにお勤めをして、ごくフツーに結婚して、ごくフツーに子供を生み育てていた その女性が突然、夫と離婚して他の男性と暮らしたいと言い出したことがあったのですね。 この“他の男性”というのが、大人たちの話を聞く限りでは、何やら土地持ちでお金はあるけれど暴力を振るう方らしく、周囲の人たちは「あの大人しい○○ちゃんが何であんな男と?」と不思議がっていた。 当時高校生だった私も、「それまでずっと“いい子”で通してきたお姉さんが何でまた?」と驚きつつ、でも、まあ、言ってみれば、昔近所に住んでいただけの赤の他人ですから(彼女は結婚して違う町に行ってしまってましたし)、何をするでもなく大人たちの話を聞き流していたわけです。 ところが、その噂話を聞いた数日後に、私は偶然、実家に戻っていたらしい そのお姉さんと同じバスに乗り合わせてしまったのです。 まだ青かった私、彼女には「こんにちは」と挨拶したきり何も言いませんでしたけど、挙動不審なところがあったのでしょう。 お姉さんは突然、「私、今やっと反抗期がきたみたいなの」と言って、そのまま沈黙。 バスを降りるまで、私は息苦しくてなりませんでした。 その後お姉さんの噂は聞きませんでしたから、結局元の鞘に収まったのだろうと思っているんですが、そんなふうに大人になってから反抗期や思春期がくる人もいるわけで、氷河と瞬ちゃんの思春期話にも その手を使えばいいと思ったわけです。 それにしても。 反抗期には詰まらないことでイライラし、思春期には いかにも思春期〜な日記を書きまくっていることのできた私は、おそらく大変に恵まれた人間なのでしょう。 氷河と瞬ちゃんは そうではなかっただろうと思うにつけ、切なくなります。 原作設定だと、氷河も瞬ちゃんも「今が思春期」と言われても変じゃない年齢なんですよね。 あの歳で既に命のやりとりを幾度も経験してるなんて、彼等の人生はかなり壮絶です。 それはさておき。 今回いただいたお題の条件は、『プラトニックで切ないお話』。 『プラトニック』は簡単です。その手のシーンを入れなければいい。 しかし、『切ないお話』はそう簡単には いきません。 『切ない』という感情は、『楽しい』『悲しい』『腹立たしい』といった感情とは異なり、何というか、実に微妙な感情です。人がどんな時に切なさを感じるか、それは人によってかなり違うのではないかとも思いました。 悩んだあげく、お題としていただいた曲の歌詞も歌詞なことですし、私は、今回のリク話は『思春期的ポエミー調』を目指すことにしたのです。 そうしましたら、少々短い話になってしまいまして。 思春期に思いつくポエムというのは、その時の感情だけを綴るものであることが多く、解決策を講じようとするものではないので、大抵断片的なものですし、長いとそれだけで思春期っぽくなくなってしまうので、くどく長くはできなかったのです。 なので、今回はおまけのショートショートをつけてみました。こちらも『プラトニック』は(表向き)完全装備なんですが、やっぱり『切なさ』は不足気味。 『切なさ』を表現するのは本当に難しいです。 更に言うなら、どうも私の感覚では、恋も友情もその根っこは同じものらしく、友だちと恋人の境界もひどく曖昧(というより混沌?)なものになってしまいました(タイトルからして、与謝野鉄幹『人を恋ふる歌』ですからね;)。 愁さん、未熟な私をどうぞお許しください……。 |