イートン校の学寮は、“ 現在のカレッジの寮監の名はムウといい、彼はラテン語の教師でもあった。 一癖も二癖もある生徒たちが集まるカレッジの寮監を務めることができるのは、彼自身が一癖も二癖もある人物だから、だったろう。 少なくとも、セイヤたちはそう思っていた。 「起床は7時、朝食は大食堂で。その後、礼拝堂でミサがあります。9時から午後1時までが午前の授業。昼休み後、スポーツのための時間として2時間がとってあります。午後4時から午後の授業――と、まあ、そのあたりのことはウィンチェスターと大差ないでしょう。詳しいことはセイヤに聞いてください」 その一癖も二癖もある男が、謎の転校生に、呆れるほど詰まらない型通りの説明をする様に、ヒョウガはむしろ薄ら寒さを覚えることになったのである。 当人もそれは同じ気持ちだったらしく、彼は面白くも何ともない説明を早々に切り上げた。 他の寮監なら、ここからが本題とばかりに熱弁を振るう寮内・学内の数々の規則については ほとんど言及せずに。 「セイヤ。彼には私の部屋の隣りの個室を使ってもらうことになっています。案内してあげてください。荷物は運ばせてありますから」 「了解〜」 セイヤは事前に、その異例の部屋割りを知らされていたらしい。 大して驚いた様子もなく、彼はシュンの手を引っ張って、ムウの部屋を出ていった。 転校生は、自分の意思を持たない人形のように、セイヤに従っているばかりである。 英国のエリート養成学校――国内の名だたる名門の子弟の集まる場所――とはいえ、生徒のすべてが優秀で矜持を備えているわけではない。 プレップスクールで主席だった者がイートンで主席をとれるとは限らず、父母のいる領地では王子様扱いされていた者も、ここに来て自分の家より高い家格の者がいることを知る。 ここは英国の上流社会での自分の立ち位置を知る場所、上には上が、下には下があることを確認する場所なのだ。 外の社会に、積極的な者と消極的な者がいるように、自信家と卑屈な人間がいるように、イートン校にも大人しい生徒や控えめな生徒はいる。 だが、それにしても、シュンの存在感のなさは特異に過ぎるものだった。 「ヒョウガとシリュウは残ってください」 ムウは二人を寮監室に引きとめ、彼等に着席を許した。 示された椅子に腰をおろしたヒョウガが、到底教師に対するものとは思えない ぞんざいな口調で、ムウに尋ねる。 「あの子は まだ3年なんだろう? ハウスでなくカレッジに部屋を与えられるのはいいとして、個室――しかも寮監室の隣りとは特別待遇だな」 イートン校の生徒に個室が与えられるのは最上級生になってからである。 それまでは、どんな名門の子弟でも――成績や家格によって多少の差異はあるにしても――5、6人から2人の集団部屋で生活するのがルールだった。 学内の生徒たちには明確な身分制度があった。 成績、家柄、適性によって、指導者集団、成績優秀者集団に振り分けられ、属する集団によって身に着ける制服も違ってくる。 ここには平等の思想はなかった。 国にないものが、学内にあるはずがない。 学業、スポーツの成績、家柄、財力で秀でた生徒が、他の生徒を支配するのは当然のことであり、その当然のことを自覚することが、英国社会を学ぶことでもあるのだ。 もちろん、人の上に立つものには、その地位に応じた責任が伴う。 社会というものを身をもって知り、規律を学ぶためにあるこの学校で、年齢(学年)による上下関係を学ぶためにあるのが部屋割りのシステムだった。 規律というものは集団の中でこそ必要なものであるから、イートンに入学した生徒たちは、規律を身につけるために、まず集団生活というものを知らなければならない。 シュンへの部屋割りは、そのルールから明確に逸脱していた。 「彼は、それほどに身辺に気を配らなければならない生徒だということです。あなた方にも協力してほしい」 「寮監じきじきに 「女王の隠し子はまだ生まれていないという話ですよ」 イートンの教師にあるまじき不敬なジョークで、ムウはヒョウガの馬鹿げた皮肉を切り捨てた。 「彼の実家の家格は伯爵に過ぎません。バークシャーに広大な領地を持ち、インドとの貿易で巨万の富を得た家ですが、一介の伯爵家であることに変わりはない。ところがこの伯爵家は王室も足元に及ばないほど太っ腹で、次男坊の転校土産に我が校に学寮を一棟 建てられるほどの寄付金を出してくれたのです」 いったいそれはどれほどの額なのか――。 具体的な金額を詮索するのも馬鹿らしい――と、ヒョウガは思ったのである。 「今どれだけ豊かでも、そんな無駄金を使っていたら、いずれ没落することになるだろう」 「さて、それはどうでしょうね。伯爵家の現当主は非常なやり手で、シュン君の兄君もエリート中のエリート。ウィンチェスター卒業後、オックスフォードを主席で卒業、政界に進むことを嘱望されていたにも関わらず家に戻り、財産を増やすことに励んでいる人物だそうです。英国内では飽き足らず、最近は南米での農園経営にも手を出しているとか」 ムウの話を聞いたヒョウガは、シュンの家の財力と前途よりも、そこまで精力的で貪欲な父と兄を持った あの転校生が、見るからに消極的で暗いことの方に 驚嘆することになった。 現在の英国には、家格ばかりが高く時流に乗り損ねている没落貴族と、経済力はあるが貴族ではないアッパーミドルクラスの者に支配されている。 現に、ヒョウガは前者の、シリュウは後者の英国代表とも言える家の子弟だった。 貴族の称号と経済力を兼ね備えた家の子息なら、もっと思いあがっていていいはずなのだ。 |