紫龍と星矢の不安は的中した。
そして、沙織の推察も的中した。

沙織の話を聞いていなかったはずの氷河は、翌日、アテナの指示に従って星の子学園に向かう瞬に、それが自分の義務にして必然かつ自然と信じている様子でついていき、とりあえず、氷河と瞬のボランティア活動は大きな波乱もなく始まった。
この点、沙織の推察は確かだった。

人あたりがよく、物腰やわらか。人への気配りができ、もちろん体力もあり、子供たちが興じるゲームやスポーツも余裕でこなす運動神経を持つ瞬に、星の子学園でのボランティア活動は非常に向いていたと言えるだろう。
もともと全く知らぬ仲でもなかった星の子学園の子供たちと職員の中に、瞬はすんなり溶け込んでいった。
この点に関しては、紫龍と星矢の予想の範囲内である。

そこまでは特に問題はなかった。
半月前までなら、それで問題の起きようもなかったのだが、なにしろ今の氷河は以前の氷河ではない。
以前は、瞬が子供たちと遊んでいる時、氷河はその中に混じることはなかったが、自分は瞬と親しくする者たちに焼きもちを焼く権利も有していないと思っていた氷河は、その様を大人しく見物しているのが常だった。
だが今の氷河は、自分にはその権利が与えられたものと固く信じているのだ。

子供たちが瞬に触れるたびに嫉妬の炎を燃やし、側に飛んでいって瞬から子供を引き剥がす保育士など、傍迷惑もいいところである。
「氷河、相手は子供だから」
と、事前に瞬から忠告は受けていたので、それでも氷河は幾分は耐えようとしていたらしい。

実際、彼は、4時間もの長い間、瞬の忠告を守り耐え続けたのである。
瞬にべたつき、泣きつき、抱きつき、抱っこを求め、肩車を求めて甘え騒ぐ子供たちを睨みつけるだけで、氷河は彼等を怒鳴りつけもしなければ、握りつぶしもしなかった。
瞬の忠告に従い耐えるので精一杯だったらしい氷河は、ボランティア活動らしきことを何もしなかったが、瞬も彼にそこまでを望んではいなかったので、それはそれで無問題といえた。
そういうわけで、氷河と瞬のボランティア活動の最初の4時間だけは、星の子学園は平和だったのである。

午前9時から午後5時。1時間の昼休みを除いて、1日7時間。
休日を除いて、1ヶ月20日間。
予定では140時間になるはずだった氷河と瞬のボランティア活動の最初の4時間が過ぎた初日の午後。
昼寝の時間に瞬に添い寝を求める子供が出現するに至って、氷河の堪忍袋の緒は実に見事に、至極あっさり、ぶちんと音を立てて切れてしまったのである。
そして、臨界点を突破した時点で、氷河は突如働き者に変わった。

すなわち。
氷河は、瞬が子供たちの相手をしなくてよくなるように、彼の仕事を全部引き受けてしまったのである。
我も我もと瞬にまとわりついていた子供たちを乱暴に瞬から引き剥がし、彼は瞬に高らかに言い放った。
「ガキ共の世話はみんな俺がやる。おまえは休憩室でお茶でも飲んでいろ!」
――と。
そうして、そう言い終えるなり氷河は、瞬を子供たちの寝室から追い出して、瞬に添い寝をせがんでいた図々しい子供たちを放り投げるようにベッドに押し込むと、その上からばさばさと毛布を覆いかぶせた。

「わたし、瞬ちゃんと一緒にお昼寝するー」
どれだけ顔の造作がよくても、子供は恐い顔の大人・・を嫌がるようにできている。
少女のご指名は、あくまでも瞬だった。
もっとも彼女は、
「我儘を言うな!」
と氷河に大声で怒鳴りつけられて、すぐにカタツムリのように頭ごと毛布の中に逃げ込むことになってしまったが。
氷河のボランティア活動は、一事が万事、すべてがその調子だった。

子供たちが瞬をサッカーに誘いにくると、氷河は瞬に、
「おまえは山に芝刈りにでも行ってろ」
と無茶苦茶なことを言って、その場から追い払い、瞬を誘いにきた子供たちを怒鳴りつけた。
「つまらんことで瞬の手を煩わせるな! サッカーでもキャッチボールでもゲートボールでも、おまえらの相手はこの俺がしてやる!」
添い寝をねだる少女より歳のいった男の子たちは、しかし、生意気に氷河に文句を言ってきた。
彼等が氷河ではなく瞬を誘いにくるのには、彼等なりの事情と都合があってのことだったのだ。

「あのさ、氷河にーちゃんってさ、手加減してくれないだろ。子供相手に本気になってさ、大人げないんだよ」
「すぐに勝負がついちゃって、つまんねーんだよなー」
「贅沢を言うな! 俺はおまえらが取るに足りない虫けら同然のクソガキでも、本気で対等に相手をしてやっているんだ。俺はおまえらを一個の人間として尊重してやっているんだぞ。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはない!」
言うなり、子供たち全員を敵方にまわしてゲームを開始し、5分の間に20ゴールを決めて、あっという間にゲーム終了。
子供たちは一瞬たりともボールをキープすることは叶わなかった。

「瞬ちゃん、高い高いしてー」
と言ってくる子供がいれば、その子供を横から掴みあげ、地上10メートルの高さにまでその身体を放り投げて、子供を恐怖のどん底に突き落とす。

絵本の時間には、瞬の手から『白雪姫』を取りあげて、がなりたてているとしか評しようのない早口で、氷河はそれを朗読した。
「どうしてお姫様がそんな怒ってるみたいな話し方をするの? もっとお姫様らしく読んで」
とささやかなクレームが寄せられると、
「おまえはお姫様に会ったことがあるのか? お姫様がどんな話し方をするか知っているとでも?」
などと無茶なことを言って、氷河は子供を黙らせてしまうのである。

「ねえ、氷河。子供たちの世話はやっぱり僕がするから」
見兼ねて声をかけてきた瞬にまで、
「おまえは口出しをするな! これはおまえの手を煩わせるほどの仕事じゃない!」
と怒鳴り声をあげ、その場から追い払ってしまう始末である。
それでなくても気が立っている氷河に逆らって、ますます彼を凶暴にするわけにもいかず、瞬は大人しく引き下がるしかなかった。

結局瞬は、子供たちの世話をすること叶わず、掃除・洗濯・おやつの準備等、直接子供たちに接することのない仕事に(だけ)従事することになった。
氷河自身が子供たちの世話で忙しかったため、さすがの彼も、瞬に丁寧に磨かれている窓ガラスや、瞬の優しく畳まれている洗濯物、瞬と一緒にそれらの仕事にいそしんでいる美穂や絵梨衣たちにまで嫉妬心を発動する余裕がなかったのは、不幸中の幸いだったと言えるだろう。






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