色気とは、この場合、情欲をそそる風情――のことを言うのだろう。
性的魅力のことであり、扇情的・色情的な様子を備えていること、である。
瞬は、これまで、そんなものが自分に備わっているのかどうかということを気にかけたことがなかった。
そんなものがなくても氷河の性欲はいつも旺盛だったので、瞬は、そんなものを我が身に備える必要性を感じたことがなかったのである。

だが――。
『いつまでもキヨラカなままじゃ、おまえも張り合いないんじゃねーの? つまんなくないのか?』
星矢の何気ない呟きが、瞬を不安にしたのである。
そして、氷河が星矢のその呟きをはっきりと否定してくれなかったことが。

瞬は、氷河とのその行為が、端的に言えば『好き』だった。
氷河と過ごすあの時間があるからこそ、自分は 聖闘士たちの戦いに終わりの見えないことにも耐えていられるのだと思う。

自分に色気が伴っていないせいで、いつか氷河にあの行為をしてもらえなくなることがあったとしたら――という想像は、瞬を震えあがらせた。
そんなことは考えたくもない。
しかし、今のまま自分が色気に不自由な人間でい続けたなら、それは避け難い未来なのかもしれない。
瞬は、そんな事態だけはどうしても避けたかった。

(でも、どうすれば……)
まさかそんなことを当の氷河に相談するわけにはいかない。
結局瞬は、朝食後ひとりで図書室にこもり 答えの出る当てのない苦悩に身を任せることになってしまったのである。
そこに登場したのは、聖域と聖闘士たちの統率者にして、知恵と戦いの女神である城戸沙織その人だった。

「瞬。星矢に聞いてきたんだけど、あなた、色気不足で悩んでるんですって?」
星矢に何事かを吹き込まれたらしい沙織が、微笑を浮かべて尋ねてくる。
何でもどんなことでも面白がる女神の微笑が、いかに危険なものであるのかを知っている瞬は、慌てて首を横に振った。
「い……いえ、そんなことは!」
「瞬は今のままでいいのよ」
「え……」

瞬は、正直なところ、沙織は何らかの退屈しのぎを求めて ここにやってきたのだと思っていた。
沙織に言わせれば、彼女が彼女の聖闘士たちをからかうのは彼女なりの気遣いなのだそうで、そうすることで自分は 彼女の聖闘士たちにリラクゼーションを与えるべく努めているのだと、彼女は主張していた。
それが完全な詭弁だとは思わないが、彼女が彼女の聖闘士たちをからかうことを、彼女自身の娯楽としていることは火を見るより明らかな事実である。

その沙織までが、そんなことを言う。
この時点で、瞬の不安は、緊急に解決しなければならない大問題へとレベルアップしてしまったのである。
色気が不足している――それは、星矢や紫龍に心配され、氷河や沙織に慰められなければならないほどの重大事なのだ――と。

「沙織さん、僕を色気のある人間にしてください」
「……」
瞬の突飛な要望に、沙織が目を剥く。
瞬をからかうためにやってきたのであったなら、沙織は瞬の申し出を『飛んで火に入る夏の虫』とばかりに北叟笑んで叶えてやっていただろう。
が、沙織は、今回に限っては、仲間たちの側から離れ一人思い悩んでいる瞬の身を案じて、ここにやってきていた。
瞬の望みは、沙織にも思いがけないものだったのである。

「アテナにもできませんか」
お祭り好きのアテナが気乗りした様子を見せてくれないことで、瞬の声は落胆の色を帯びることになったのである。
沙織は困ったように、僅かに肩をすくめた。

「それはまあ……。私には人間をクモにしたり、メデューサを化け物にしたりする力もあることだし、それに比べれば、あなたを色っぽくすることなんて至極簡単なことだけど……。でも、それは本来は他人がどうこうすべきことではないでしょう。考え直した方が――」
「それが努力して手に入れられるものだっていうのなら、僕だって努力します。でも僕は、どうすればそれを手に入れられるのかがわからない……」
それがアテナの聖闘士にふさわしい苦悩かどうかということは さておくとして、瞬の苦悩は深く、そして至って真剣なものだった。

「あなたなら、そうでしょうね……」
沙織が、先程までのものとは微妙に違う色合いの微笑を、その目許に浮かべる。
彼女はしばし考え込むような素振りを見せてから、
「瞬がどうしてもというのなら」
と言った。
瞬が、
「どうしても」
と答える。
瞬は、氷河に諦めを強いるのは嫌だった。
氷河に飽きられてしまうのはもっと嫌である。
今の瞬には、選択肢は一つしかなかったのだ。

「どうなっても文句は受けつけないわよ」
「文句なんて言いません」
氷河の目と関心を自分に引きつけておけるのなら――その願いが叶うなら、誰が文句などいうだろう。
瞬は毅然とした声と眼差しで沙織に答え、頷いた。
沙織が、瞬に負けず劣らず真剣な目をして頷き返す。

そうして――。
瞬は自分をアテナの力で、己が身を『色っぽく』してもらったのである。
沙織に『文句は言わない』と断言した手前、瞬は、女神のわざによって変わり果てた己れの姿を認めた時、絶句することしかできなかった。
同時に、瞬は大混乱に陥った。






【next】