「俺はわからなくなった……。人間が人間に色気を感じるのは、助平心があるからじゃないのか? 瞬と寝たらどんなだろうという想像力が、俺の中に色気を生じ、瞬にも色気を感じることになる。なのに この瞬を色っぽいと感じるのは――」 『この瞬』は、氷河が掛けている3人掛けのソファのもう一方の端にちょこんとした様子で収まっていた。 深く腰掛けたせいで、足が床についていない。 その幼い様を横目に見やり、それでなくても苦悩していた氷河は、両手で顔を覆い、背中を丸め、更に苦悩の色を濃くすることになったのである。 「なら、おまえはその瞬と寝たいんだろ」 「そんなことをしたら、瞬が壊れるじゃないかっ!」 「そんな心配をする前に、俺の言ったことを否定しろよっ!」 氷河の怒声に、星矢もまた怒声で答える。 星矢は――もちろん紫龍も――氷河の苦悶の様子に、非常に危険なものを感じていた。 13歳未満の少年少女との性行為は、両者の間に合意が成立していたとしても、性虐待・強姦罪になる。 氷河は犯罪の域に片足を突っ込みかけているのだ。 幼い瞬の色気が、まさかそこまで氷河に理性を失わせるほどのものとは思えなかったが、なんといっても、氷河は10年後の“この瞬”に恋をしているのである。 恋する男の目や感覚は、恋をしていない者の定規では測れないところがあるに違いなかった。 とりあえず この場は氷河の理性を信じることにして、紫龍は話題を『犯罪』から『色気』の問題へと軌道修正したのである。 軌道修正して――紫龍が口にした言葉は、 「しかし、おまえは、子供になる前の瞬に色気を感じて寝ていたのか」 という、超根本的な問題だった。 「……」 紫龍に問われた氷河が、答えに詰まる。 “この瞬”に色気を感じることに戸惑う氷河は、当然、16歳の瞬に色気を感じたことがなかった。 少なくとも、瞬の色気に触発されて そういう行為に及んだことはない。 氷河が瞬の身体に執着し、執着し続ける第一の理由は、 「俺は……瞬を他の誰にも取られたくなかったんだ。瞬を俺だけのものにしておくには、瞬と寝てしまうのがいちばん手っ取り早い方法だと思った」 ――だったのだ。 「それは……」 そういう考え方もあるのかと、星矢と紫龍は目からウロコが落ちる思いだったのである。 つまり氷河は、抑えきれない肉体的欲望に負けて瞬との間にそういう関係を築いたわけではなく、所有欲に負けて、あるいは喪失を恐れて、瞬とそういう仲になった――ということらしい。 実際に寝てみたら 予想以上にそれが楽しい行為だったからこその、氷河の毎朝の寝穢なさなのだろうが、『瞬は今のままでいい』という氷河の発言は、おそらく諦観から出たものではなく、偽りのない彼の本意だったのだろう。 「色気なんてなくてよかったんだ。こんな瞬、いくら色っぽくても一緒に寝られないんじゃ話にならない」 つまり、『これは俺のものだ』という刻印を、瞬の身体に刻むことができなければ――。 そうすることができないのであれば、瞬の色気など、あってもなくても氷河にはどうでもいいことだったのだ。 「それはまあ……」 自分勝手な言い草だと思わないでもないが、氷河の気持ちが全くわからないわけでもない。 星矢と紫龍は、超想定外の災厄に見舞われてしまった仲間に同情し、深く嘆息することになったのである。 そこに、瞬のあどけない声が割って入ってくる。 「氷河は…… 一緒に眠れない僕は嫌いなの?」 瞬が、いかにも子供らしい仕草で、くすんと鼻を鳴らす。 子供にそういう話は通じまいと勝手に決めつけて、瞬のいるところでオトナの事情を話していた氷河たちは、ぎくりと全身を強張らせることになった。 「そうじゃなくてーっっ !! 」 瞬は、意識・感覚は6歳の子供に戻っているというのに、記憶と知識は16歳のレベルを維持している。 “この瞬”は、実に対処に困る存在だった。 そして、“この瞬”は当然、子供になっていたときの記憶を保持したまま、(多分)いつかは元の瞬に戻るだろう。 へたな本音は聞かせられないのだ。 慌てて否定の言葉を叫ぶ氷河を眺め、星矢は不思議な気分になっていたのである。 「なんか、やっぱり、瞬の奴、色っぽいぞ」 星矢の呟きに同意して、紫龍は頷いた。 たとえ16歳の瞬に少々拗ねられたとしても、平生の氷河はここまで取り乱したりしないのではないか――。 漠然と、星矢と紫龍はそう感じていた。 無論、16歳の瞬は、氷河が何らかの失言をしたとしても、子供のように拗ねたりはしない。 失言は失言にすぎず、それは必ずしも真意ではないことを理解して、黙って聞いているだけである。 氷河には弁明の機会が与えられ、瞬はいつもそんな氷河を微笑んで許すのだ。 が、子供になった瞬からは そういう事情を汲む能力が失せてしまったのか、氷河の発言に対する6歳の瞬の反応は実にストレートだった。 その率直さは、一歩間違えば子供っぽい我儘になりかねないものだが、だからこそ そこには、自分の我儘を他人に許させようとする力――つまりは媚が含まれていた。 瞬が意識的にそんな自分を演出しているとは思わなかったが、6歳の瞬は、弱さや軽薄を自分の武器にしようとする空気を その身にまとっていた。 それが妙な色気になり、氷河を平生の氷河でなくしているように見える。 それは、非力な者が自分を守るために身につけざるを得ない空気――なのかもしれなかった。 その色っぽい瞬が、氷河の横ににじり寄り、彼に“色っぽく”甘え、ねだり始める。 「ねえ、氷河。そんな難しい話はやめて、遊園地に行こうよ」 「この非常事態時に遊園地だとぉー !? 」 それはどこの子供のおねだりだと、氷河は激しい目眩いを覚えたのである。 瞬が 今の会話を“そんなこと”程度の認識で聞いていたことに安堵したのは事実だったが、なぜ今ここで遊園地なのかが、氷河には全く理解できなかった。 16歳の瞬なら、決してこんな脈絡のないことを言い出したりはしない。 瞬は、やはりどこかが子供に戻ってしまっているようだった。 色っぽく唐突な子供の瞬をどう扱ったものか、その態度を決め兼ねている氷河に、星矢が両肩をすくめつつ提案する。 「行ってこいよ、パパさん。子供の気まぐれを大人の感覚で理解しようとしたって無理なことだろうし、今のおまえが犯罪者にならないためには、父親気分を身につけるしかなさそうじゃん」 「誰がパパさんだーっ !! 」 雄叫ぶ氷河の声は、見事にひっくり返ってしまっていた。 |