『行ってこいよ、パパさん』
それは星矢の冗談では済まなかった。
6歳の瞬と一緒にいる氷河は、どうやら一般人の目にも そういうものに映ってしまうらしい。
つまり、『若いパパさん』に。
異様に甘えねだる術に長けた6歳の瞬に負けて、結局彼を某テーマパークに連れていく羽目になった氷河は、まもなく その事実を否応なしに認めざるを得ない状態に陥ってしまったのである。

人間の見た目の年齢は、相当に環境と状況に左右されるものである。
それでなくてもコーカソイドは日本人の目には、実年齢より歳がいっているように映るらしいのだが、それが子供連れとなると、もはや日本人の目は矯正がきかないようだった。
更に氷河は、6歳の瞬に無理矢理連れ出された某テーマパークで、瞬が尋常でなく『可愛い』ことも再認識することになった。

氷河はもちろん、人に見られることには慣れていた。
今時この日本で金髪碧眼の人種は珍しくもないと思うのだが、氷河は外出すると いつも人の視線を その身に集める男だった。
あまつさえ、人類として最高レベルに位置する容姿の持ち主である(と氷河は信じていた)瞬と連れだっているのだから、自分たちが人の注意を引くのは当然とも思っていたのである。
しかし、今日は、いつもの外出時とは様相が違っていた。

氷河を見て、瞬を見て、そして深い溜め息をつくのは、いつもの若い男女層ではなく、主に瞬と同じ年頃の子供を連れた母親たちだった。
氷河と瞬の二人連れは、言ってみれば、妻に逃げられた無能亭主の侘びしい子守りにも見えかねない組み合わせである。
にも関わらず、その二人連れに、彼女たちは羨望の眼差しを向け、そして気安く声をかけてくるのだ。

「可愛らしいお子さんですね。あの……失礼ですけど、女の子ですか?」
「いえ、男です」
「まああ。本当に可愛らしい!」
世の中には こういう場面での定型文が出回っているのかと疑わずにいられないほど、若い母親たちが氷河にかけてくる言葉は みな同じだった。
誰もが似たような笑顔で、似たようなことを尋ね、似たように驚き、感嘆してみせる。
氷河は同じ会話を幾人もの“ママさん”たちと交わす羽目になり、いい加減にうんざりしかけていた。

が、その氷河も認めないわけにはいかなかったのである。
手足が細く、くびれに乏しい幼児体型。
表情はあくまでも幼い子供のそれ。
“この瞬”は、仕草が頼りなげで、つい手を差し延べずにいられなくなる、まさに可愛らしさを極めた生き物だった。
走って転びかけ、振り向いて、そこに氷河がいるのを確かめ、6歳の瞬が安心したように笑う。
その様は異様なほど可愛らしく、その上、確かに 氷河がくらりとするほどの色気があった。

(瞬とはいえ、5、6歳のガキだぞ!)
(ナマ脚がいかんのだ、あのナマ脚が!)
氷河は懸命に、自分にそう言い聞かせながら、逸る心を落ち着かせるべく努めることになった。
あってはならない己れの戸惑い以上に 氷河を不愉快にしたのは、瞬に対して同じことを感じているらしい男たちが、自分以外にも相当数いること――だった。

電車の中、アトラクションの順番を待つ間、ショップやカフェ――至るところで氷河は、“ママさん”たちのように声をかけることなく、無言で瞬を見詰めている男たちの視線に気付くことになった。
そういう不審な輩は、さすがにさほど多くはいない。
男たちの視線なら、16歳の瞬の方が はるかに多く集めていた。
しかし、それらの視線に気付くたび、氷河はぞっとすることになってしまったのである。
16歳の アテナの聖闘士である瞬は、そんな男たちの視線を、その全身を包む覇気ではね返してしまっていた。
だが、6歳の瞬に その力はない。
非力で無防備で可愛らしい子供というものは、あらゆる意味で危険な存在のようだった。






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