あまり物事に頓着することのない星矢は、いつにも増して不格好に焼けた瞬のパンケーキを食すると、さっさと 氷河の理解できない不機嫌のことを忘れた。 氷河もそうだったのかは、彼の仲間たちの誰にもわからなかったが、一見したところは平和に、特に新しい波風が立つこともなく、それから数日が過ぎていった。 つまり、それから数日後、城戸邸では新たな騒ぎが勃発したのである。 城戸邸在住の某青銅聖闘士から「今日のおやつはスイカにしてくれ」というリクエストがあったということで、その日 瞬は、城戸邸の厨房で食事等の準備をしてくれているご婦人に頼まれスイカの買出しに出た。 城戸邸内にもっとその仕事に適した人材があることを知っている彼女が その仕事を瞬に頼んだのは、ひとえに瞬の方がその人物より頼み事をしやすい人間だったから――だったろう。 あるいは、瞬に頼めば、頼み事を依頼しにくいその人物が動くことを、彼女は察していたのかもしれない。 問題の人物は、案の定、『冷蔵係が必要だろう』と言って、瞬に同道を申し出た。 その買い出しを済ませた瞬が購入したスイカを厨房に置いてラウンジにやってくると、城戸邸在住青銅聖闘士たちの溜まり場になっているその部屋が とんでもないことになっていた。 “とんでもないこと”と言っても、別にそこが敵襲を受けて破壊し尽くされていたとか、跡形もなく消え失せていたとか、そういうことではない。 単に、ラウンジに置かれているセンターテーブルの上にゴミの山ができていた――というだけのことだった。 瞬が買い出しに出る前は紙とペンの筆記具が置かれているだけだったそこは、3時のおやつどころか、飲み物のグラス一つ置く隙間もないほど、ゴミ――それはすべてお菓子の包装紙や容器の残骸だった――で覆われていたのだ。 「ど……どうしたの、これ」 誇張でなく山を成しているお菓子の包み紙や容器に驚いて瞬が尋ねると、星矢が得意そうに鼻の頭をこすりながら、この山のできた訳を説明してくれた。 「3時のおやつまでに腹をすかせとこうと思ってジョギングに出たらさ、公園の脇んとこに、お菓子のディスカウントショップができたんだよ。賞味期限が1週間を切った お菓子が半値以下で売られてたんだ。持てるだけ買ってきた」 「……」 買ってくるのはいいが、賞味期限が1週間あるのなら、何もそれを一度に食べ切ることはないだろう――と、正直 瞬は思ったのである。 これだけのお菓子を食べておきながら、3時になればなったで星矢はもちろんスイカも食べるのだと思うと、瞬は軽い目眩いに襲われた。 「ジャンクフードばっかり。身体に悪いよ」 「だいじょぶ、だいじょぶ。俺、食い物で体調悪くしたことないから。そんなことより、瞬。おばちゃんがおやつ持ってくる前に、このゴミ片付けといてくれよ。おばちゃんのことだから、絶対 切ったスイカ持ってくるだけじゃ済まないんだから。きっと、丸ごとスイカのフルーツポンチくらい作ってくる。置き場所を確保しとかないと、おばちゃん、臍を曲げちまうぞ」 食べ物に関することでは確かな洞察力と推理力を発揮する星矢に嘆息して、瞬は再度テーブルの上に視線を向けた。 確かにこのゴミの山は、城戸邸の青銅聖闘士たちの食生活の管理を一任されている調理師の機嫌を損ねかねないものである。 早々に片付けた方がよさそうだった。 星矢の要請に応えるためというよりは、日頃世話になっているご婦人の機嫌を損ねないために、瞬はその作業に取りかかろうとしたのである。 そこに、厨房のおばちゃんより機嫌を悪くしているような氷河の声が降ってくる。 「それくらい、自分でしたらどうだ」 「無理無理。ゴミの分別、難しくて俺にはわかんねーんだもん」 「“わからないから できない”が許されるのは、立って歩けるようになる前のガキだけだ。自分が食ったものの後始末くらい、他人の手を煩わせず、自分でつけろ!」 『太陽は東から昇る』レベルの正論だが、その正論を星矢に告げる氷河の口調は はなはだ攻撃的で、星矢は仲間の刺々しさに眉をひそめることになった。 「なに、ぴりぴりしてんだよ。おまえだって、いつも瞬にあれこれしてもらってるじゃん。瞬のいれたコーヒーじゃないと飲めねーなんて我儘言ったり、そのへんに置きっぱなしの本を片付けてもらったりさ。おまえがよくて、俺が駄目なんておかしいじゃん」 正論に対抗するには正論で――と星矢が考えたのかどうかはわからないが、自分中心型宇宙観の持ち主二人の“正論”の論拠はそれぞれに異なっていた。 互いに相容れない主張でありながら、どちらも決して誤りではない――そういう事態が成立し得るから、この世界には多くのプトレマイオス型人間が存在するのだろう。 氷河の主張は確かに、他の多くの人間も迷いなく頷くであろう正論だった。 しかし、彼はその正論を自ら破綻させる愚を犯したのである。 つまり、 「俺はいいんだっ」 ――と、気色ばんだ様子で星矢を怒鳴りつけることで。 氷河の論理の破綻を見てとるや、星矢は、我が意を得たりと言わんばかりのしたり顔を、白鳥座の聖闘士に向けてみせた。 「そういうの、プティレモンパイ型人間って言うんだよな。我儘―」 「う……」 星矢に叩きつけた己れの言葉が我儘に類するものだということは わかっているらしい。 反駁の言葉に窮した氷河は むっとした顔で、彼を言い負かした仲間を睨みつけることになった。 楽しいおやつの時間が近付いているというのに、城戸邸ラウンジに険悪な空気が充満する。 執り成すように二人の間の入っていったのは、至極当然のことながら、この城戸邸でおそらく唯一コペルニクス型人間である人物だった。 「氷河、僕がやるよ。星矢に任せると、本当に滅茶苦茶になっちゃうから」 「そういう問題じゃないだろうっ!」 星矢にやり込められて気が立っていた氷河が、ちょうどいい怒りの捌け口を見付けたと言わんばかりに、今度は瞬を頭から怒鳴りつける。 自身の怒りが理不尽なものだということは承知しているのだろうが、ここで、非があるのは瞬を怒鳴りつけた自分ではなく、自分に怒声をあげるようなことをさせた人間の方だと考えるのが、プトレマイオス型人間である。 氷河が 本当に非は瞬の上にあると考えたのかどうかまでは 瞬にはわからなかったが、氷河が一瞬憎々しげに瞬を睨みつけ、そのまま何も言わずにラウンジを出ていってしまったのは、紛れもない事実だった。 |