検事 兼 判事である人間に公判を放棄され、瞬は被告人席で 一人呆然としてしまったのである。
氷河の考えていることが、瞬にはまるでわからなかった。
「氷河がプトレマイオス型の人間だという意見を撤回しよう。氷河は典型的なコペルニクス型の人間だ」
それまで傍聴人役に徹していた紫龍が、そんな瞬に、これまた唐突なことを言い出す。

「え?」
紫龍はなぜ急にそんなことを言い出したのか。
氷河だけでなく紫龍までが、瞬には話の流れを無視しているとしか思えないことばかりを、至極自然なことのように口にする。
瞬は、彼等の話についていけない自分が急に頭が悪くなってしまったのかと、そんな不安を覚えることになってしまったのである。

紫龍は、自分が不自然な発言をしたとは思っていないようだった。
彼は、それが やはり至極自然な会話の流れであるかのように、瞬に語り続けた。
「氷河の宇宙には、おまえという太陽がいて、奴はその周りを回っている。見事な太陽中心型宇宙体系だな。おまえには理不尽で支離滅裂に思えるのかもしれないが、奴の言動は、ただ一つの目的のために首尾一貫している」
「ただ一つの目的――って……」
「もちろん、自分にとっての太陽を守ることだ。つまり、おまえを。誰だって、自分にとっての太陽を失いたくはないだろう?」
「紫龍、なに言って……」

話の飛躍が過ぎるだけでなく、紫龍の言うことは、その内容まで突拍子がない。
紫龍の推察――もちろん推察だろう――が、万一事実だったとして、自分が守りたい人間の言動を端からすべて否定していく人間がいるものだろうか。
『いるはずがない』というのが、瞬の考え――瞬の常識――だった。

が、ある人間の常識が、すべての人間の常識であるとは限らないのである。
相手の言動を受け入れ許すことだけが好意ではなく、相手のすること為すことを否定することが好意であることもある――というのが、紫龍の常識のようだった。
「氷河は、おまえが好きで、おまえを失いたくないんだ。氷河は、おまえにいつも明るく――そう、幸せに輝いていてほしいと願っている。おまえに何かあったら、奴の宇宙は壊れてしまうからな。おまえという太陽を失うと氷河という地球は存在できなくなる。だから奴は、おまえのすること為すこと何もかもが心配でならないんだ」

「そ……そんなはず……。だって、氷河は自信家で、いつも自分が正しいと思ってて 自分中心で、僕は氷河の気に障る存在で――だから、氷河は僕のこと怒ってばかりで、僕は氷河に嫌われてるんだ……」
「そうでもない。奴は、おまえのすることが気に障るんじゃなくて、おまえを自分の都合で好き勝手に使う、おまえの周囲の奴等が気に入らないでいるだけだ」
そう言ってから、紫龍は、わざとらしく その視線を星矢の上に移動させた。
その視線の先で、星矢が居心地悪そうに肩をすくめる。

「でも……」
それでも瞬には、紫龍の言葉を信じてしまうことができなかった。
毎日毎日飽きもせず不愉快そうに怒鳴りつけてばかりいる相手に、氷河が実は好意を抱いている――そんな牽強付会としか言いようのない論を、どうすれば信じられるというのだ。
瞬は、きつく唇を引き結んだ。

いつになく素直でない瞬に、紫龍が重ねて“氷河=コペルニクス型人間”説を主張する。
「もし氷河が本当におまえを嫌っているんだとしたら、おまえが誰の犠牲になろうが、どんな危険な目に合おうが、氷河は見て見ぬ振りをしていればいいだけのことだろう。それを毎回毎回いちいち腹を立てて怒鳴り声をあげて――嫌いな奴のためにそれをしているんだとしたら、やつの趣味は、時間とエネルギーの無駄使いだということになるな」
「あ……」

言われてみればその通り、である。
本当に嫌いなら、人はその人間を無視していればいいのだ。
まれにそうすることのできない人間も この世には存在するようだが、氷河はそういうタイプの人間ではない。
氷河は嫌悪や憎悪に固執することなど考えもせず、自分の愛する者や大切な人だけを一途に見詰めるタイプの人間だった。

「氷河は、おまえが好きで、おまえが何よりも大切な存在なんだ。不器用にすぎるきらいはあるが、その気持ちはわかってやれ」
「あ……」
紫龍の言葉が、瞬の瞳に涙を運んでくる。
わかっているはずだったのに――氷河がそういう人間だということは、これまで共に過ごし共に戦ってきた日々の中で嫌になるほど思い知らされてきたはずなのに、氷河の言動の表面だけを見て、勝手に悪い方にばかり考え、勝手に傷付いていた自分自身を、瞬は心から悔やんだ。

「僕……僕、氷河のとこ行って、謝らなきゃ……」
涙を拭い顔をあげた瞬に、紫龍が穏やかな微笑を投げてくる。
「謝る必要はないと思うが、早く行って慰めてやった方がいいだろうな。おそらく、大切な太陽に嫌われてしまったと落ち込んでいる」
「僕にだって、氷河は失いたくない太陽だよ!」
「それは俺たちではなく氷河に言ってやれ」
「うん!」
適切この上ない紫龍のアドバイスに、瞬が大きく頷く。
すべての命の源である太陽のように明るい笑顔を仲間たちに向けると、そうして瞬は、彼の太陽の許に向かって駆け出していったのだった。






【next】