「ああ……っ!」
瞬は、あろうことか氷河に貫かれる痛みで意識を取り戻した。
「あっ……あっ……あっ……ああ!」
氷河がこんなふうに激情に任せて ひたすら瞬の奥を極めようとするのは、彼が何かに憤っている時、あるいは二人が長く身体を交えることができずにいた時、もしくは戦いの予感――死の可能性――が身近に迫っている時に限られていた。

いったい今夜の氷河はどんな激情に囚われているのか――氷河の心を慮りながら、やがて彼が瞬の身体の内を 彼の放ったもので濡らすまで、瞬は細い身体で懸命に彼が打ち込んでくるものを受けとめ続けていた。
もっとも、その瞬間が訪れた時には、瞬は、氷河の激情の理由を探るどころか、瞼を開けることさえ つらく感じられるような快感に打ちのめされ、ひたすら胸を大きく上下させて、このまま死んでしまわないために呼吸することだけで精一杯だったのだが。

「大丈夫か、シュン」
荒ぶっていた呼吸を先に整えたらしい氷河が、瞬の額にかかる髪を指で脇に寄せながら、恋人の顔を覗き込んでくる。
「あ……」
「そんなにひどくした覚えはないぞ。俺はいつも通りに――」
「ヒョウガは……その“いつも”が激しすぎるんだもの」
(だ……誰……?)
氷河にそう答えている自分が自分でないことに、その時になってやっと瞬は気付いたのである。

細い肩――か弱い少女のような――少年。
瞬は、その少年と五感を共有していた。
少年の目に映るものが見える。
少年の身体の奥に残る疼きと痛みを感じる。
だが、瞬の意識だけは、少年から離れたところにあり、瞬の意識の目は少年の目とは違うところから二人を見詰めていた。

眼差しに どこか翳りを漂わせて、恋人の言葉に苦笑しているのも瞬の氷河ではなかった。
面差しは似ているし、白鳥座の聖闘士の小宇宙も感じる。
金髪で青い瞳の持ち主であることも氷河と同じなのだが、彼は瞬の氷河より少しばかり歳上に見えた。
氷河(?)を見詰めている少年も、顔立ちは瞬に似ていたが、瞬ではない。
彼と 瞬との決定的な違いは、何といっても彼が聖闘士でないことだった。
彼は“瞬”と大して変わらないほど――むしろ“瞬”より細いくらいなのに――身体が重く感じられる。
華奢なこの身体で氷河の激情を受けとめられることが奇跡に思えるほど、“僕”は普通の人間だった。

ここにいるのは、つまり、“瞬”と“氷河”が生きている時代と世界の、キグナスの聖闘士とアンドロメダの聖闘士ではない。
二人が快楽果てた身体を横たえている寝台も、その部屋も、瞬には見覚えがなく、それはまるで中世ヨーロッパの質素な農民が住む家のようだった。
枕元にあるのは電力による照明ではなく、植物油で ともされている小さな炎である。
ここはどこで、今はいつなのか。
瞬が自身に問うた途端、瞬の中に“僕”の記憶が流れ込んできた。

今、女神アテナの統べる聖域は、聖戦と呼ばれる戦いのただ中にある。
ヒョウガは聖闘士で、明日には戦場に行くことになっていた。
その戦いで死ぬかもしれないという気持ちが、ヒョウガにシュンを、シュンにヒョウガを、激しく求めさせている。
一人で待つことしかできない己れの無力を、シュンは嘆き悲しんでいた。

「これまでの聖戦では座して冥界で聖闘士たちのやってくるのを待つばかりだったハーデスが、どういうわけか今回に限って 地上に出てきているそうだ」
「黄金聖闘士たちが冥界に行っているんでしょう? なのにどうして?」
「黄金聖闘士たちの相手は冥闘士に任せているということらしい。黄金聖闘士たちが負けるとは思わないが――」
だが、彼等の敵は“死”なのである。
人間が唯一敵わない相手、決して勝つことのできないもの――死――と、アテナの聖闘士たちは戦っているのだ。
言葉とは裏腹に、ヒョウガが黄金聖闘士たちの勝利を信じきれていないことがシュンにはわかった。

「ハーデスの目的は何なんだろうね」
「何かあるんだろう。この地上に欲しいものが」
(“僕”は気付いていない。ハーデスが欲しているのは自分だってことに――)
「ペルセフォネーの例もある。ハーデスが生者の国に出てくるのは花嫁探しのためかもしれないぞ。野原で のほほんと花なんか眺めてるなよ。ハーデスにさらわれるぞ」
「まさか。僕は男だよ」
シュンは、ヒョウガの戯れ言を聞いて、薄く形ばかりの笑みを作った。
シュンの中で瞬は焦りを覚えたのだが、シュンの心は、今は不安と悲しみでいっぱいで、彼は自分の中にいる瞬の焦慮に気付いてはくれなかった。






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