瞬の認識を正さなければならない。
今すぐに、瞬の認識の誤りを指摘し、瞬は優しくて可愛い生き物なのだということを、瞬に知らせてやらなければならない。
その決意を胸にAVルームを出た氷河は、まっすぐ瞬の部屋に向かった。
だが、氷河はそこで肩透かしを食うことになってしまったのである。
てっきり瞬は自室に閉じこもり打ち沈んでいるに違いないと踏んでいたのに、瞬は彼の部屋にはいなかったのだ。

庭に出るには遅い時間だが――と訝りながら階下におりるために踵を返した氷河は、ふと思いついて とある場所で足を止めた。
その場所というのは氷河自身の部屋のドアの前で、まさかと思いつつ彼が自室のドアを開けてみると、そこに瞬がいたのである。
すっかり しおれた様子で、瞬は氷河のベッドに腰掛けていた。
どうやら瞬は、氷河と別々に寝ようと思うレベルにまで気分を害していたわけではなかったらしい。
氷河は ほっと安堵の息を洩らして、自室のドアを後ろ手に閉じたのである。

「瞬。急に出ていくから、どうしたのかと……」
瞬が 瞬の落ち込みの理由を訴えてくれたなら、氷河は即座に瞬の誤った認識を正してやるつもりで――そのつもりで、氷河は瞬に水を向けた。
だが、瞬は、残念ながら氷河の誘いに乗ってきてはくれなかったのである。
その場に氷河の姿を認めると、瞬はひどく つらそうな目をして、この部屋の主の顔を見上げてきた。
その視線を受けとめた氷河が 瞬のために微笑を作るより先に、瞬が自分から彼の胸に飛び込んでくる。

「どうしたんだ。せっかちな。そんなに焦らなくても、ちゃんと――」
思い詰めた様子の瞬を軽口で落ち着かせようとした氷河の声は、途中で途切れることになった。
氷河の胸に飛び込んできた瞬の細い腕が、氷河の背にしがみつくように強く絡んでくる。
「瞬……本当にどうしたんだ」
可能な限り落ち着いたふうを装って、瞬の気持ちには何も気付いていない振りをして、氷河は瞬に尋ねていったのである。
少しの間を置いてから、氷河の胸の中で、瞬が小さく呟く。

「僕は氷河が好きなの」
「俺もだ。知っているだろう」
たとえ冷酷に敵を倒し、ありふれた幸福や安らぎなどというものに縁がなく、そして血にまみれている人間だとしても、だが、だからこそ氷河は瞬が好きだった。
むしろ、だからこそ・・・・・、氷河には瞬が“可愛い”と感じられるのだ。

卑下でも謙遜でもなく、氷河は、自分は瞬ほどには強い人間ではないと思っていた。
戦闘力はともかく精神面では、瞬の方が人間として はるかに成熟しており、また高い次元にいると思う。
それでも自分が瞬を守り庇ってやらなければならないと氷河が思うのは、瞬の強さが もろさと言っていいほどの優しさの上に培われたものだから――だった。

瞬は強い。
だが、瞬の強さは誰かに支えていてもらわなければ発揮されない種類の強さなのである。
瞬は、瞬ひとりきりでは強い人間たり得ないのだ。
弱者が弱者を手引きする――マタイ福音書の『盲人の手引き』とは真逆の解釈になるが、これほど的確に自分たちの――ひいては人間全般の――強さの本質を表している言葉もないと思う。
人は皆 弱く頼りない生き物なのだ。
その弱い人間が、誰かのためにだけ、強くなろうとする。
氷河は瞬を支えるために。
瞬は戦う術を持たない地上の人々のために。

そういった関係は、だが、人に強さだけをもたらすものではない。
戦う力を持たない者たちは、彼等を守ろうとする瞬を失えば滅び去るかもしれない。
氷河を失えば、瞬は一人で立っていることができなくなるかもしれない。
瞬がそこまで もろい人間だとは、氷河も思ってはいなかったが、自分たちは互いに支え合っていた方が より強い者でいることができる二人だと、そんなふうには氷河も考えていた。

それにしても今夜の瞬は 頼りなさが過ぎる。
瞬はもしかしたら体調が優れないでいるのではないかと懸念した氷河は、キスをしながら、瞬の頬に両手を当てた。
熱はない。
少なくとも瞬は病的な熱は帯びていない。
別の熱はあったが、それは二人が共に寝る時には、瞬がいつも帯びる類の熱だった。
瞬はその気でいてくれる――らしい。

それは氷河の希望にも合致していることだったので、瞬の肌が帯びている熱を確かめるとすぐさま、氷河は瞬の身体を抱きあげてベッドに運んだ。
そこまでは いつも通りだったのだが――その先が、今夜の瞬は平生とは違っていた。
ベッドの中では万事を氷河に任せ、彼にされるがままでいるのが常の瞬が、今夜は自分から動こうとする。
それが恋人を愛撫しようとする氷河の行動を妨げることになるのはわかっているはずなのに、瞬は必死にその腕を氷河の背に絡めようとするのだ。

「ちゃんと可愛がってやるから、この腕を解け。俺はまだ服も脱いでいない」
氷河にそう言われて初めて その事実に気付いたらしい瞬は、ぎこちなく びくびくした様子で、その腕を解いた。
「叱ってるわけじゃない。瞬、本当にどうしたんだ」
捉えようによっては、これは確かに瞬の身体に危害を加えようとする行為である。
瞬が怯えていても、それは決して不自然なことではないのだが、瞬は既にその交わりには慣れているはずだった。
今更 その行為に恐れなど抱くはずがない。

だから氷河は『どうしたのか』と瞬に尋ねたのだが、瞬はそれには答えず、逆に唇を引き結んだ。
そして瞬は、ベッドに横になったまま、自分にのしかかろうとしている男が身に着けているシャツのボタンを外し始めた。
その指先が震えている。
いつも氷河のすることを受け入れるだけの瞬にこんなことをされるのは これが初めてで、氷河は瞬の積極性を喜ぶどころか、むしろ困惑することになってしまったのである。
嬉しくないわけではないのだが、なにしろ肝心の瞬が、楽しんでそれをしているようには見えないのだ。
こんなふうに おどおどしている瞬は見ていられない。
氷河は瞬の手を掴み、その手をシーツの上に押しつけた。

「そんなふうに指を震わせていたら、かえって時間がかかる。いつまで経っても事に及べないだろう」
言いながら、氷河は、片手で素早く瞬が身に着けていたシャツのボタンを外し、あっというまに瞬の白い胸を灯火の下にさらけださせた。
素肌が外気に触れる感覚に瞬が息を飲み、一度 鼓動を大きく打つ。
その心臓のある場所に、氷河は彼の唇を押しつけた。

いつもより2時間ほど早いスタートだが、もちろん氷河は、時間を2時間繰り上げて事を終えるつもりはなかった。
瞬のためにも、今夜はいつもより長い時間をかけて、瞬がその恋人に熱烈に愛されていることを教えてやった方がよさそうだと、氷河は考えていた。

二人の肌が直接触れ合うことを妨げるものがすべて取り除かれると、瞬はまた、いつになく積極的に、だが おずおずと氷河の背に腕をまわしてきた。
瞬のぎこちない その所作が、かえって氷河の愛撫の邪魔になることは紛れもない事実だったのだが、瞬の必死な様子が可愛くて、氷河は瞬を咎めることはできなかった。
瞬は瞬の恋人を抱きしめたがっているのだから、むげにその手を振り払うわけにはいかない。
というより、今夜に限ってそんなふうでいる瞬の意図を探るために、氷河は瞬のしたいことをさせてみるしかなかったのである。






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