ギガントマキア -恋の章-

〜 ヤスコさんに捧ぐ 〜







「やあ。君は相変わらず 若く美しいな、アンドロメダ」
アテナの緊急の呼び出しを受けてアテナ神殿を訪れた瞬を、そんな馬鹿げた言葉で出迎えたのは、かの浜崎達也氏(仮名)に『おだやかな顔立ち。長い黒髪。白い肌、長い睫毛。西洋風の恐ろしげな白髪鬼のような他のギガスたちとは似ても似つかない』と評された迅雷のトアス――かつてのアテナの敵だった。
瞬がすぐに彼を彼と気付かなかったのは、彼がギガスの戦闘服である金剛衣アダマースを身に着けておらず、戦闘には不向きな長く黒い貫頭衣を その身にまとっていたからである。
その風情は、瞬の目には、アテナの敵どころか 敬虔な宗教家のように映ったのだ。

もっとも、彼が開口一番に発した言葉は、すぐに瞬の記憶の中の“迅雷のトアス”を鮮やかに蘇らせてくれたのであるが。
『若く美しいアンドロメダ』――それは、かつて瞬が彼と戦いの場で対峙した時に、彼が瞬に投げかけた言葉だった。

本当に“若い”人間が『若い』と評されることは、その未熟をあげつらわれているようで、当の“若い”人間には侮蔑としか思えない――少なくとも嬉しくはない――ものである。
彼がその言葉を賞讃のつもりで言っているのか侮蔑のつもりで言っているのかは、瞬には判じ難いことだったが、彼の真意はともかく、その言葉は瞬を不快にするものだったのだ。

「瞬、久し振りだな」
トアスの隣りに、もう一人、同じような出で立ちの人物が立っている。
こちらは、かの浜崎達也氏(仮名)に『プラクシテレスの彫像に描かれた青年神ヘルメスのよう。気品があり親しみの持てる男。ブルネットの髪に、静かな湖にも似た瞳はおだやかで知性的』と表された、祭壇座アルターのニコルだった。
黄金聖闘士亡きあとの聖域で、アテナの補佐役として他の聖闘士たちを統率していた、聖域の(元)教皇代理でもある。

瞬は、アテナ神殿の玉座の間に立つ二人の姿を認めて、尋常でない驚きに支配されることになったのである。
瞬が驚いたのは、他でもない、彼等が死んだはずの男たちだったからだった。
「ど……どうして……?」
どうして死んだはずの彼等が、アテナの側近くに涼しい顔をして立っているのか。
瞬は その答えを求めて視線をアテナに投げた。
瞬の視線を受けとめたアテナが、無言で肩をすくめる。

瞬の疑念に答えてくれたのは、ニコル(元)教皇代理だった。
彼は、一見した限りでは優しげに感じられる表情と声で、実に思いがけない言葉を口にした。
「ハーデスの厚意で――と言うべきかな」
「ハーデスの……厚意?」
「そう。冥府の王のハーデスが、もし自分の生に悔いがあるのなら、もう一度生きるチャンスを与えようと言って、我々を生き返らせてくれたんだ」

自分とは因縁のある冥府の王の名を出されて、瞬が一瞬 身体を強張らせる。
瞬の緊張と不安を消し去ろうとしてのことではなかったのだろうが、
「キグナスにぎゃふん・・・・と言わせることを条件に」
と、ニコルの脇からトアスが補足説明を入れてきた。
「ハーデスは、彼の人類粛清計画が頓挫したのは、キグナスが君をどうにか・・・・したせいだと考えているらしくてね。我々にキグナスへの意趣返しを命じたんだ。その仕事の報酬が人生をやり直すチャンス。まあ、成功報酬だがね」

「……」
親切にも丁寧な説明を加えてくれたトアスを、瞬は思わずまじまじと見詰め返してしまったのである。
瞬は驚きのあまり、声を失ってしまっていた。
ハーデスの見当違いも はなはだしい思い込みもさることながら、ハーデスが口にした(らしい)『ぎゃふん』という言葉のせいで。

「ぎゃふん――って……。いったいハーデスっていつの時代の人ですか」
「神話の時代のヒトだろう」
ニコルが真顔で即答してくる。
だが、瞬が彼等に本当に訴えたかったのは(彼等に答えてほしかったのは)そういうことではなく、死の国から蘇ってきた二人の人間の意図、その事態に至った真実の事情だった。

もちろん ニコルは、瞬の意図を正しく理解した上で、そんなとぼけたことを言っているのだ。
彼は生前から、真顔で冗談を言い、憂い顔で皮肉を言い、親切顔で他人を酷評するという、特異な性癖を持った男だった。
へたに美貌なだけに、その飄々ひょうひょうとした振舞からは、真実の人柄が掴みにくい海千山千の男――だったのだ。

「我々の再生が一時のことになるか、本当にもう一度 生き直すことができるほどの時間が与えられることになるのかは、氷河の『ぎゃふん』の度合いで決めると、冥府の王は言っていた」
「さ……沙織さん――アテナ!」
真実を話すつもりのないらしい彼等と、これ以上言葉を交していても疲労感が増すばかりである。
瞬は、救いを求めて彼の女神の名を呼んだ。
瞬は、真実の事情はどうであるにしても、せめて彼の女神に、ハーデスの企みに乗った二人をたしなめ非難することをしてほしかったのである。
が、瞬のその期待は華麗に裏切られた。

アテナは、にっこりと慈愛に満ち満ちた笑顔を浮かべ、
「あら、でも、面白そうじゃない」
と、瞬に言ってのけたのだ。
「どこが……!」
知恵と戦いの女神アテナ――。
もちろん彼女は彼女の聖闘士たちを心から愛している――愛してくれている。
しかし彼女は、彼女の聖闘士たちの身に具体的な危害が及ばないのであれば、聖闘士たちの独立した意思と行動を尊重する女神でもあった。
その女神アテナは、この事態を、自分が口出しすべき事態ではないと判断したらしい。

アテナの意向は既に確認済みだったのか、ニコルが寛大なアテナの発言に意外の念を抱いた様子もなく、彼の言葉の先を続ける。
「そこで我々は考えた。そして、氷河をぎゃふんと言わせるためには、君を彼から奪うのが最善の方法だろうという結論に至ったんだ」
「そういうわけなのでよろしく、アンドロメダ」
「よろしく……って」
「なに、一種のゲームだと思ってくれればいい。私とトアスと氷河によるアンドロメダ姫争奪戦ゲームだ」
「己れの持てる魅力を最大限に発揮して君の心をキグナスから引き離し、君を夢中にさせた者が勝者というわけだ。そうなるのを防ぎきったらキグナスの勝ち。まあ、彼の勝利は99パーセントないだろうがね」

「ゲーム……」
本来は死の国の住人であるはずのニコルとトアスは 全く深刻ぶった素振りを見せず、それどころか軽率にも思えるほど ほがらかな笑顔を瞬に向けて、実に軽薄に『これはゲームだ』と言い切った。
「楽しいゲームになると思うぞ。聞くと、トアスも私同様、生きていた時から君を憎からず思っていたという。君のためにせいぜい華麗な恋の鞘当てを繰り広げることにしよう」

「ニコルさん……」
本気で言っているとは思えない。
彼等が本気でそんなことを言っているとは、瞬にはどうしても思うことができなかった。
ギガスと人間――異なる種の生き残りをかけた あの悲惨で無残な戦いに、その命を残酷に奪われた二人の闘士。
その二人が、本気でそんなゲームに興じるような ふざけた男たちであるはずがないのだ。






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