二人に うまく逃げられてしまったことに気付いたのは、派手ななりをした商売女――多分、いつもは聖職者相手に商売をしている女――が、俺に近寄ってきて、
「あの二人、あんたの知り合いなの?」
と尋ねてきた時だった。
「何者だ?」
俺の答えは、答えと言うにはお粗末すぎるもので、俺が二人の正体を知らないことを知ると、女は あからさまに がっかりした顔になった。

「数日前から、この辺りで見かけるようになったんだよ。毎日 ここの宮殿や聖堂を見てまわってる。不思議な組み合わせだろ。軍人と小さな女の子。他国の間諜にしちゃ目立ちすぎだし、正体不明。でも、綺麗だし、金離れはいいし、ぜひお近付きになりたいところなんだけど、隙がなくてねー。あの子供が邪魔なんだよ……」
軍人と小さな女の子。
芸術家たる俺の目は、この商売女と同程度のものだったらしい。
あの二人が、二人とも30過ぎの男だと知ったら、この女はどんな顔をするのか。
多分、面白いアイギパーン像が彫れるだろう。
怪物テュポーンならぬ“小さな女の子”に驚いて変身し損なった牧神像が。

ついに巡り会った俺の聖母に逃げられたことが癪で、俺は 今日はもうどんな仕事もしないことを決め、その足で行きつけの酒場に向かった。
10代の少女に見える30男。
10代の少女でも、30になった成人男性でも、シュンが聖母マリアとは全く異なる要素でできている人間だということは、紛う方なき事実だ。
イエスが亡くなった時、マリアの年齢は50前後。
当時としては、十分に老女だ。
ベルジーノも老女として描いているし、ベリーニが制作中のピエタの聖母も老いて疲れきった母。
シュンとピエタのマリアに共通したところなど何ひとつない。
俺が彫ろうとしているのは、受胎告知の処女マリアじゃないんだ。
清らかな処女の30年後の姿なんだ。

だというのに、俺の中の芸術家としての本能は、マリアの形と心を持った人間はしかいないと、頑なに主張し続ける。
マリアの形と心――。
あの金髪男は、レオナルドが心を形にしようとしていると言っていたが、それは感情の代弁者である表情とは違うものなんだろうか。
あの二人は確かに美しかったが、美しいものを求める芸術家の目の欲望だけが、俺をここまでシュンに執着させることになったんだろうか――?

色々なことを考え、生まれてくる疑問に対する俺なりの答えも幾つか出したような気がするが、それらのことを、俺は考える側から忘れていった。
酔いがまわってくると、もはや考えることは『もう一度会いたい』『あの二人に会いたい』『シュンに会いたい』――そればかり。
『俺のマリア』『俺のマリア』、そればかりだった。

したたかに酔った俺が、俺をローマに呼びつけた枢機卿の館に戻ったのは、これ以上はないほどの真夜中。
そして、翌朝 酔いが抜けた時、俺はあの二人を捜し出すことを固く決意していた。

今更 シュンを捜し出そうとしなくても、シュンの形の8割方は俺の目が憶えている。
形を石に写し取るだけなら、今すぐにでもできる。
だが、あの形の理由を理解しなければ、その上で石に向かわなければ、俺は心を形にしたことにはならず、“俺のマリア”を彫ったことにならない。
だから、俺は、それがどれほど困難なことでも、あの二人を捜し出し、もう一度あの二人に会わなければならなかった。
でなければ、俺の気持ちの治まりがつかない。
俺の仕事――生涯をかけた仕事だ――を始められない。
ピエタを彫るためというより、俺自身の未来のために、俺は再びサン・ピエトロ広場に向かった。






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