どれほど困難でも――と、俺は固く決意していた。
だというのに、あの二人は、拍子抜けするほど簡単に見付かった。
まあ、隠れているには目立ちすぎる二人だからな。
聖堂の入り口近くにうずくまっている宿無しの男に、二人の風体を告げ、小銭を渡して『見たことはないか』と尋ねたら、
「今日はラテラーノ宮殿の方に行った」
と、すぐに二人の居場所を教えてくれた。

求めていた情報があまりに簡単に手に入ったことに面食らい、ガセを掴まされたのではないかと疑いながらラテラーノ宮殿に向かった俺は、本当にそこで あの美しい二人連れに再び合うことができたんだ。
彼等は、アヴィニョン捕囚以来使われなくなって今は荒廃しきっているラテラーノ宮の前で、ひどく深刻な顔で何事かを語り合っていた。

「ローマの腐敗が進むと、人心が乱れる。アテナは心配して――」
「邪神の誘惑に、力ない者は抵抗を諦め――」
「邪神の力によってではなく、人間は自ら滅んでいく――」
「キリスト教徒には、アテナも邪神だろう――」

洩れ聞こえてくる言葉の切れ端は、芸術談義にしては奇妙なもののような気がしたが、そんなことは俺にはどうでもいいことだった。
彼等が何者で、何のために この腐りきったローマにやってきたのか。
そんなことはどうでもいい。
俺のピエタのために、シュンが必要なんだ。
俺は、ほとんど獲物に飛びかかる肉食獣のような勢いでシュンの前に躍り出て、次の瞬間にはシュンの両腕を掴まえていた。

「君の人の心に挑み、破滅してもいい。もしそうなったなら、俺はそれだけの男だったのだと諦める。俺のマリアのモデルになってくれ!」
シュンの腕を掴んだ俺の手が、シュンの傍らにいたヒョウガによって払いのけられる。
俺は めげずに もう一度 シュンの腕を掴まえようとしたんだが、どういうわけか その時には既に、シュンは俺の手の届かないところに移動してしまっていた。
まるで一瞬のうちに風がシュンの身体を運び去りでもしたかのように、そこにシュンはいなかった。
何が起こったのか理解できず、その場で二度三度と瞬きを繰り返した俺に、シュンが離れたところから穏やかな口調で語りかけてくる。
「ヒョウガは大袈裟なんです。僕はただの無力な人間です。あなたを破滅させる力など持っているわけがありません」

言葉は俺の不安を払拭するためのもの。
だが、その実、シュンが俺に言おうとしているのは『自分は特別な人間ではない』ということだった。
『だから、僕に固執するな――関わるな』
つまり、俺を追い払うための言葉。
彼等は この町で他人と関わることを避けたいと思っているのかもしれなかった。

だが、彼等の都合がそう・・だから どうだというのだ。
ピエタは作られなければならない。
これまで誰も見たことのないピエタ。
すべての人間の心を動かすピエタ。
世界がそれを望んでいるのが、俺にはわかる。
だから、俺は食い下がった。

「ローマは腐敗している。俺は、この町に憤りを感じている。俺は、清らかで美しい無原罪の聖母を彫り、ローマ人たちの心に、神を畏れ 罪を畏れる心を取り戻させたい。そして、ローマ人たちの哀れな心に神の無限の愛と許しを感じさせてやりたいんだ」
自分がそんなことを考えていたなんて、俺は今まで自覚していなかった。
もしかしたら、それは、ついさっき漏れ聞いた二人の会話の切れ端を繋ぎあわせて即興で作った大義名分にすぎなかったのかもしれない。
十中八九そうだっただろう。
俺は少なくとも、昨日 この二人に会うまでは、『このローマで大きな仕事を成し遂げて レオナルドやボッティチェリに俺の存在を認めさせてやる』という気負いだけで動いていた。
そんな大層で立派な大義が 俺の中にあったはずがない。
だが、シュンが俺の願いを叶えるために大義が必要だというのなら、俺はいくらでもそれをシュンに提供するつもりだった。
捏造してでも。何をしてでも。

それくらい、俺は必死で決死だった。
そんな俺のなりふり構わない形相を見て、シュンが悲しげに瞼を伏せる。
「僕は罪深い人間です。人を傷付け、その命を奪ったことさえある。無原罪の聖母だなんて、僕が そんな幸福な人のモデルになどなれるわけがない」
「人を傷付け……なに?」

我が子を失い嘆く母を、シュンは『幸福な人』と言った。
では、シュンは、我が子を失った母をすら幸福と感じるほど不幸な人生の中にあるということなんだろうか。
まさか。
そんなふうには見えない。
二人は幸福に見える――このローマにいる誰よりも幸福な人間に見える。
二人は健康で美しい。
貧しいようにも見えないし、なにより二人は善良そうな顔つきをしている。
人々に気高い神の教えを説く立場にいる聖職者たちでさえ、この町では歪んだ顔しか持っていないというのに。
だが、シュンは、迷いも躊躇もなく自分を罪人つみびとだと言い切った。

普通の人間のことなら驚かない。
それが聖職者の為したことだったとしても、俺は驚かない。
人を傷付け殺すことなんて、この町では日常茶飯のこと。
法王でさえ――法王こそが率先して――その罪を犯しているんだから。
だが、自分を罪人だと言ったのは、俺が俺のマリアのモデルに選んだ人。
この澄んだ目の少年が、まさか。
俺には信じられなかった。

「君は清らかだ。君より罪なき者は この地上に存在しない」
20歳そこそこの若造が何を言っているのかと、俺自身も思ったが、俺はそう言ってしまっていた。
俺が・・そう感じてしまうんだから、仕方がない。

俺のその言葉を聞いたシュンは、きかん気で世間知らずの子供を諭す母親のように 首を軽く横に振り、そして言った。
「あなたは、地上にいるすべての人を見たことはないでしょう。たとえば、僕たちのアテナは 僕なんかより――」
「シュン」
シュンが語りかけた言葉を、ヒョウガが遮る。
シュンは、我にかえったように、口をつぐんだ。






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