沢山貴氏が母と共に渡米することになったという連絡が入ったのは、その日の夜のことだった。
細胞移植も不可能な彼の心臓や肺につながる血管の ほぼすべてを人工血管に移植する技術が米国で開発されつつあり、まだ成功率は低いにしろ、いつ その機能を失うかわからない臓腑に怯えながら 座して死を待つよりは、どれほど小さく微かなものであったとしても、その延命の可能性に賭けてみることにした――と。
進行によっては、全身の血管をすべて入れ替えなければ完治したとはいえない病。
いつ病に追いつかれるかと恐れながら、一生 命懸けの鬼ごっこを続けなければならないかもしれない戦いに、貴氏は挑むことにしたらしかった。

沢山家の英国にいる父方の親族が、そういう可能性があることを調べ、すべての手配をしてくれたらしい。
ストレッチャーでの移動を余儀なくされることになる前に――自分の足で立っていられるうちに発ちたかったのだと、渡米する母子の見送りのために空港に赴いた瞬と氷河に、貴氏は言った。
いつもの通りの穏やかな笑顔で。

「元気になって、今度こそ君のライバルになれたらいいのだが」
「さっさと完治して戻ってくることだ。それまで俺は 瞬に告白せずに待っていてやろう。早くしろよ。俺はこらしょうがない」
「君は真顔で嘘をつく。君は人に倍して忍耐強い人間だろう。もちろん、僕は石にかじりついてでも生き延びるつもりだが――」
笑顔と言葉を一度 途切らせ、真顔になってから、貴氏は氷河に少し つらそうな声で、
「君のものでも、僕のものでも、人生は短い。忍耐力を発揮するのもほどほどに」
と告げた。
そして、氷河の返事を待たずに、瞬の方に向き直る。

「元気になった姿を突然見せて驚かせたいから、連絡先は知らせずにいくことにする。時々、母の庭を見てやってくれると嬉しい。沙織さんが、あとのことは引き受けてくれたのだが」
「僕は――」
もしかしたら、彼の穏やかで強い笑顔を見ることができるのは、これが最後になるかもしれない。
彼は希望と可能性を求めて出発するのだから、今は笑わなければならないと思うのに、瞬は涙を止めることができなかった。
氷河は泣くなとは言わなかった。
だから泣いてもいいのだと、胸中で理のない言い訳をしながら。

「その涙を笑い話にできるよう、僕は頑張らなくてはならないな」
貴氏は、最後まで、瞬には笑顔をしか見せなかった。






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