「紫龍には紫龍を待っている人がいるってことは知ってる。紫龍の気持ちを変えてくれっていうんじゃないの。でも、いつも紫龍の側にいて、紫龍のことを見詰めている人の気持ちも酌んであげてほしいの。人の気持ちが変わるのは仕方のないことで、それは悪いことでも責められるようなことでもないでしょう?」 へたな前置きをつけると、健気な人への罪悪感に押し潰されてしまいそうだったので、瞬は紫龍の部屋に行くと、すぐに用件に入った。 「それはもちろんそうだろうが、おまえは何の話をしているんだ?」 が、あいにく、紫龍は、瞬が決死の思いで語った言葉の内容を理解してくれなかったのである。 氷河の言うことなら、もっと素っ気ない言葉だけでも理解しているようだったのに――。 紫龍の怪訝そうな声と眼差しは、彼のように氷河と わかり合うことのできない我が身の哀れと みすぼらしさを、瞬に思い知らせる。 瞬は、そんな自分が悲しかったのである。 とても、悲しかった。 だが、今はそんなことを悲しみに打ちのめされている場合ではない。 氷河の幸せのために――瞬は、紫龍説得のための言葉を重ねた。 氷河と違って、瞬は、言葉を重ねることでしか、紫龍の心を動かす術を持っていなかったから。 「紫龍、隠さないで ほんとのこと言って。それとも、紫龍は僕を子供だって思ってるの? だから僕には何の力もないって思ってるの? 僕たちは仲間でしょう?」 「もちろん、俺はおまえを かけがえのない仲間だと思ってはいる……が……」 「なら、ほんとのこと言って! ほんとのこと言ってくれたら、僕、中国に行って、紫龍の代わりに春麗さんに事情を説明して、説得して、謝ってくるから……! 土下座でも何でもして、きっと二人のことを許してもらってくるから……!」 「瞬……俺は、おまえの言っていることが全く理解できんのだが……」 「紫龍……!」 氷河とは あれほど少ない言葉だけでわかり合えていたのに、紫龍のこの物わかりの悪さはどういうことなのか。 恋し合う者同士の間にだけあるのだろう何かの代わりに、瞬は言葉を尽くしたつもりだった。 瞬は、自分が紫龍に理解を拒絶されているように感じたのである。 実際、 「いや……もしかしたらと思うことはないでもないんだが、おまえの考えを理解することを、俺の理性が拒絶している――」 紫龍が歯切れの悪い言葉を連ね、瞬は そんな彼に食い下がった。 「理性なんて……! これは理性でどうこうできるようなことじゃないでしょう! これが理性で制御できることなら、人は誰だって、自分の恋が何の支障もなく成就するとわかっている人を好きになるよ。でも、現実はそうじゃない。誰も二人を祝福してくれないような恋に落ちたり、絶対に結ばれないとわかっている人を好きになったり、他の人を見詰めている人を好きになったり――。でも、それが恋なんだから、仕方がないんだ……!」 これは仕方のないことなのだ――。 それは、氷河の恋を知った時から、瞬が自分自身に幾度も言いきかせてきた言葉だった。 氷河が他の誰かを見詰めていても、彼をこんなに好きでいる自分を氷河が好きになってくれなくても、それは仕方のないこと。 実らぬ恋を諦めようとして諦めきれず、叶わぬ恋を忘れようとして忘れられず 苦しむのも仕方のないこと。 すべては氷河の幸せのためと、氷河の恋を瞬ってからずっと、瞬は懸命に自分に言いきかせ続けてきたのである。 なのに涙が止まらないのは、これが理性や理屈で制御できないものだからなのだろう。 人は恋を理性で支配することはできない。 それは、紫龍も同じのはず。 そして、おそらく、氷河も 「瞬。おまえ、少し冷静になれ」 「お願い。氷河の気持ちを考えてあげて……!」 瞬の涙ながらの訴えを聞いた紫龍の顔が、メデューサの生首を眼前に突きつけられたピネウスのように引きつり、強張り、凍りつく。 「や……やはり……そういうことか。道理で理性が――」 メデューサの首によって凍りついたのは、紫龍の顔だけではなかった。 そう言ったきり、紫龍は――顔だけでなく、その言葉さえも凍りつかせてしまったのだ。 瞬の涙だけが、メデューサの首にも某水瓶座の黄金聖闘士の凍気にも凍らせることのできない唯一のものであるかのように流れ続ける。 「大事なのは、氷河の気持ちと今の紫龍の気持ちなんだから……!」 メデューサの首でも、水瓶座の黄金聖闘士の凍気でも何でもいい。 この悲しみと苦しさを凍りつかせてくれるのなら。 瞬は、そうなることこそを願っていたのだが、瞬のその願いが叶えられることはなかった。 |