「どーして、そーなるんだーっ !! 」
紫龍の理性が拒絶した瞬の誤解の内容を聞かされて、氷河はラウンジに悲鳴に似た雄叫びを響かせることになったのである。
「俺だって、気持ちわりーよ。なんで、この俺がおまえなんかを」
「右に同じ」
もちろん、瞬の誤解の当事者の片割れにされてしまった星矢と紫龍も、全く良い気分ではいられなかった。
何といっても、彼等にとって氷河は、恋の告白すら まともにできない、ただの間抜けな阿呆以外の何者でもなかったのだ。

「俺は、俺の好きな相手は、俺と同性で優しい人だと言ったんだぞ。そう言われたら、普通、誰を思い浮かべる? 貴様等のどこが『優しい』というんだ !? 」
「こうやって、おまえのがなり声を我慢して聞いてやってるんだから、俺たちは かなり優しい男なんじゃないか? だいたい、おまえが おまえの好きな相手の名前をはっきり言わないから、こんなことになるんだよ!」
「しかし、同性で優しい人といったら、普通は――普通は、誰だって、いのいちばんで瞬を思い浮かべるだろう! それが普通で当然で必然で自然だ。なのに、なぜ、よりにもよって貴様等なんだ !? オスのヤモリやオスのクモを思い浮かべる方が はるかにましだ。ヤモリやクモはうるさくないし、何といっても益虫だ!」

あまりに奇想天外な瞬の誤解に動転して 遠慮を忘れ、仲間たちを昆虫以下にする言葉を並べ立てながら、氷河は一応、ちゃんと自省もしていたのである。
最初に瞬に、『俺の好きな相手は同性で優しい人だ』と告げた時、瞬は氷河の告白の真意を窺うような目で告白者の顔を見詰めていた。
氷河は、それを、瞬が、白鳥座の聖闘士の好きな相手が自分かどうかを確信しきれずに戸惑っているだけなのだと誤解した。
誤解して、たかをくくってしまったのである。
白鳥座の聖闘士の恋人が誰であるのかを、瞬は正しく理解していると。
瞬はただ、自信を持てずにいるだけなのだと。
それが間違いのもとだった。
氷河は、何事にも謙虚で慎ましやかな瞬の性向――言ってみれば、自意識不足の傾向――を、すっかり失念していたのだ。

「瞬は、自分のこと優しいなんて思ってねーだろ。瞬は そんな うぬぼれ屋じゃないし。瞬は、おまえが幸せになるためだってんなら、自分は身を引くってタイプだ。だから、変にごまかすのをやめて、最初から目的格をはっきりさせとけばよかったんだよ!」
「うー……」
自分でも愚かなミスだったと承知していることを 改めて他人に指摘されるのは腹が立つが、それは真夏の太陽並みに確かな事実なので反駁ができない。
代わりに氷河は、奥歯を噛みしめて 低い唸り声をあげた。

「相手が自分より劣る奴だと思ったら、我こそはと考えて発奮する人間もいるだろうが、瞬は全く そういうタイプではないからな。そもそも瞬は、自分が他人より優れていると考えることのない人間だ。その相手とおまえがどう考えても不幸になる二人だというのでもない限り、いや、そうだったとしたら なおさら、瞬は、おまえが その相手と幸せになれるよう力を尽くそうとするだろう。自分は身を引いて。大事なのは自分の心ではなくて、おまえの心。瞬はそう考える奴だ」
紫龍の言う通りだろうと、氷河は思った。
瞬は傲慢の悪徳には縁がなく、謙虚で善良。
人として、それは優れた美質であり、また“良いこと”でもあるだろう。
氷河が瞬を好きになったのは、瞬がそういう美質――白鳥座の聖闘士にはない美質――を備えているからだった。
だが、その美質が、今 この場合に限っては、迷惑極まりない美質になってしまっている。
瞬が もう少し うぬぼれの強い人間であったなら、今 この事態は発生していなかったのだ。

「だから、変な小細工なんかしないで、最初から普通に『おまえが好きだ』って言っときゃよかったのに……」
一つのミスを重ねて非難してくる星矢に、氷河の苛立ちが募る。
そんなことは二度も三度も指摘されなくても、ミスを犯した当人がいちばんよくわかっているのだ。
「貴様等はそう言うがな! 最初、瞬を名指ししなかったのは、俺なりに 事を慎重に運ぼうと考えてのことだったんだ。瞬が同性同士の恋をどう思っているのかを確かめてからでないと、適切な対処法がわからんだろう! 俺は絶対に失敗できないんだ。瞬に気味悪がられたり、恐がられたり、ヘンタイだと思われたりしないように、俺は俺なりに慎重に、細心の注意を払って――」

「自分と同じオトコに惚れたヘンタイのくせに、ヘンタイと思われたくないなんて 図々しいことを考えるから、こんなことになるんだよ!」
「何を言うか! 俺がヘンタイだということは、瞬が俺の気持ちに応えてくれた時、瞬もヘンタイになるということなんだ。瞬をヘンタイになんかできるかっ」
「……」
氷河が力説する理屈は、何かどこかが間違っている。
間違っているのは事実なのだが、氷河の気持ちもわからないではなかったので、星矢はその件は不問に処すことにした。

「まあ、幸い 瞬は、男同士でも互いに好き合ってるなら――って考えてるみたいだから……。おまえ、さっさと 瞬に『好きだ』って言ってこい」
「うむ。瞬は、おまえの気持ちとおまえの幸せを第一に考えている。おまえを幸せにできるのが自分だけなのだということがわかれば、瞬は、おまえを幸せにするために正しい方向に頑張ってくれるだろう」
これまでの瞬の“頑張り”は、完全に方向を間違えた“頑張り”だった。
そして、瞬に頑張る方向を間違わせてしまったのは、目的格を省いた恋の告白をした氷河自身。
瞬の頑張りの軌道を修正してやるのは、瞬に不完全な告白をした男の義務であり、それができるのもまた、瞬に不備だらけの告白をした男だけなのだ。

「わかっている! 瞬はどこだ」
仲間たちの助言忠告に深く頷いて、氷河は 掛けていたソファから勢いよく立ち上がった。
「多分、自分の部屋。夕べ、ずっと泣いてたみたいだったし……」
星矢と紫龍が、やっとマトモな行動を起こす気になったらしい氷河に、やれやれというような顔を向ける。
「ずっと泣いて……?」
瞬が昨夜ずっと泣いていたというなら、それは 自らの叶わぬ恋を嘆いてのことに決まっていると、氷河は迷うことなく(だが 切ない気持ちで)、決めつけた。
なにしろ 氷河は、瞬とは違って、謙虚の美徳は備えていないが、うぬぼれ・傲慢の悪徳には並以上に恵まれている男だったのである。
だが、今ばかりは、その悪徳は美徳以外の何ものでもない。
現実社会において最も問題解決能力に優れている人間は、清らかなだけの人間ではなく、悪徳だけを身につけた人間でもなく、清濁併せ呑んだ人間と相場が決まっているのだ。

「よし。これから瞬のところに行って、俺の好きな相手はおまえだと 馬鹿な誤解のできぬよう、今度こそ はっきり言ってやってくる!」
力強く宣言して、仲間たちに背を向け、派手な音を立てて勢いよく 氷河はラウンジのドアを叩き開いた。
開かれたドアの向こうにあったのは、廊下に面した長い窓から射し込む、秋の午前の暖かく やわらかい光。
その光の中に、氷河は、この世でこれほど不吉な男はいないと瞬時に断言できるほど不吉な男の影を見い出すことになったのだった。






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