「最近、氷河、何か雰囲気 変わったよな?」 ハーデスよりも氷河の方が様子がおかしいと、星矢が感じるようになったのは、ハーデスが聖域にやってきてから10日近くが過ぎてからだった。 それだけの期間 星矢の直感が働かなかったのは、ハーデスのかもしだす胡散臭さと不快感が強烈すぎて、それが氷河の変化を感じ取りにくくしていたせいだったらしい。 危険の大小強弱を正確に把握して、常に より大きな脅威、より大きな危険を優先して知らせてくる己れの直感に、星矢は今回ばかりは不便さを感じることになったのだった。 「確かに」 星矢の言葉に、紫龍がすぐに頷いてくる。 時に大破綻を見せることがあるとはいえ、基本的に 理屈最重視の紫龍が 他人の意見に賛同するということは、推察判断等の行為を始めるための材料が紫龍に与えられているということ、氷河の変化が 具体的な現象として表出しているということだった。 「氷河は、以前はもっと外を見ていた――と思う。おまえの無鉄砲をからかったり、俺の頭の固さを皮肉ったり、それなりに茶飲み話にも乗ってきていた。無愛想なりに愛想があったんだ。それが、最近は、無愛想というより無関心というか、自分の外界のことに目を向けなくなっているというか――。ハーデスが現われてからだな。奴が変わったのは」 それが、氷河の変化を認めるために紫龍が用いた判断材料らしい。 善意最優先の瞬は、紫龍の その言葉を聞いて、ひどく切なげな顔になった。 ハーデスの相手を務めているだけでも 相当に気力や注意力を削られているはずなのだが、それでも瞬は仲間の変化に気付いていたらしい。 氷河自身は決して口には出さなかったが、彼が仲間内で最も好ましく思っているのは瞬で、彼が最も長い時間 その視界に姿を映しているのも瞬だった。 氷河が“外”を見なくなったことを――つまりは、瞬を見なくなったことを――誰より早く、誰より敏感に感じ取っていたのもまた 瞬だったのだろう。 「氷河の大切な人たちは みんな冥界にいるから……」 瞬は、それが氷河の変化の原因だと考えているようだった。 瞬の小さな――悲しげでさえある声の指摘に、星矢は虚を突かれたような顔になったのである。 「あ、そっか……」 それは、星矢には思いつかない着眼点だった。 「僕なんかより、氷河の方が苦悩しているのかもしれないよ。アテナとハーデスの間で」 「死んだ者恋しさに、氷河が俺たちを裏切るっていうのか」 「そうは言わないけど……。氷河は絶対に そんなことはしないと思うけど、僕たちを裏切るわけにはいかないからこそ、氷河はつらいんじゃないかと思うの……」 「いや、いくら何でも、それは氷河を見くびりすぎだろう。氷河は、そこまで繊細で か弱い神経の持ち主ではないぞ」 「この件に関しては、紫龍の見方の方が正しいな」 ふいに、その場に、4人目のアテナの聖闘士の声が割り込んでくる。 3人の聖闘士たちは、一斉に 声のした方に視線を巡らせることになった。 議題が『最近の氷河の変化の不可解』だったので、星矢たちは、アテナ神殿内に与えられている彼等用の談話室ではなく、わざわざアテナ神殿の裏手に出て、そのディスカッションを行なっていたのだ。 最近“外”を見なくなった氷河は、近辺に見当たらない仲間たちの姿を探してまわるようなこともしないだろうと、星矢たちは思っていた。 氷河の登場は、星矢たちには想定外のものだった。 氷河が“外”を見なくなったというのは とんでもない勘違いで、彼は見るべきものは しっかりと その目で見詰め続けていたのではないかと、星矢と紫龍は、瞬に向けられた氷河の笑顔を見て思ったのである。 「おまえは何でも心配の種にするんだな。そんな心配は無用だ。俺はアテナの聖闘士だぞ」 「で……でも、氷河がアテナの聖闘士だっていうことと、氷河が氷河の大切な人たちを思うことは別のことでしょう」 「俺を信じていないのか? 俺がアテナやおまえたちを裏切るとでも」 「そうじゃないよ。信じてるから……信じてるから、氷河が苦しいだろうと思うの」 「おまえは本当に心配性だ」 おそらくは、心配性の瞬を これ以上心配させないために、氷河はその目許と口許に微笑を浮かべている。 だが、氷河は、『死んだ者たちのことは思い切れている』と瞬に言うことはしなかった。 当然、瞬の心配事は解消されない。 むしろ、瞬はますます不安そうな顔になった。 「氷河、一人で悩むことだけはしないでね」 「ああ、もちろん」 氷河が あまりに簡単に そう答えるから、瞬の心配は更に募るらしい。 それが仲間に心配をかけないための方便、あるいは仲間への思い遣りに聞こえて。 もし瞬が 今の氷河の立場にあったなら、瞬も今の氷河と同じように、心配は不要だと、無理にも笑って言うだろう。 自分がそうだから 他人もそうだろうと考えて、瞬は氷河を心配することをやめられないのだ。 本音を言えば、星矢は、今の瞬は氷河のことより我が身の心配をしていた方がいいのに――と、思っていた。 だが、そんなことができてしまったら、それは瞬ではない。 人類存続のためにハーデスの機嫌取りは続けなければならないし、氷河のことも心配。 気苦労の耐えない瞬の身が、星矢はいちばん心配だった。 |