「あの……死んだ人たちは、冥界でどんなふうにしているの」
翌日、瞬が、氷河も星矢たちもいない場所でハーデスに そう尋ねたのは、もちろん仲間たちに心配をかけないためだった。
魚座の黄金聖闘士が丹精を込め世話をしていた薔薇の園。
残念ながら、ハーデスは 花の美しさには あまり関心はないようだったが。
珍しく――もしかしたら初めて――自分から話題を持ち出してきた瞬の瞳を見おろし、見詰め、撫でるような声で、ハーデスが瞬に問い返してくる。

「会いたい者がいるのか」
「あ……いえ、僕じゃなく、氷河が――」
「氷河? キグナスのことか」
「氷河のお母さんや、氷河を聖闘士に育ててくれた人が――」
余の国・・・にいるのか」
「……」
ハーデスに そう問われ、瞬は、自分は“敵”に言ってはならぬことを言ってしまったのではないかと、急に――そして、今更ながらに――不安になってしまったのである。

そう・・しようと思えば、冥府の王は いつでもそうすることができたはず。
にもかかわらず、ハーデスがそれ・・をしないのは、そうすることのできない事情か、そうしてはならないというルールがあるのだろうと決めつけていたのだが、それは自分一人の勝手な思い込みにすぎない。
もしハーデスが死んだ者たちのを盾に取って アテナとアテナの聖闘士たちに降伏を迫ってきたら、氷河はどれほど苦しむことになるのか。
氷河だけではない。
へたをすると、聖域にはハーデスに抗することのできる者はただの一人もいなくなってしまう――。
そう思い至って――瞬の全身から血の気が引いていった。

「あ……あの……」
「なるほど。死んだ者を利用して、アテナの聖闘士を余の意に従わせることもできるわけか」
「そんなことしないで! あ、いえ、そんなことはしないでください。氷河はもう十分に苦しんだの。これ以上――」
これ以上、亡くなった人のことで苦しみ嘆く氷河の姿を、瞬は見たくなかった。
それは、生きている者には決して癒してやることのできない悲しみで、瞬は、亡くなった人のことを思っているのだろう氷河の姿に出会うたび、生きている人間の無力を思い知り、その事実に打ちのめされてきたのだ。
それは、氷河が氷河一人で乗り越えなければならない悲しみである。
それは わかっている。
だが、だからこそ瞬は、これ以上 氷河に悲しみを募らせてほしくはなかった。

頬から血の気を消して 必死に死者の国の支配者に訴える瞬を、ハーデスが目をすがめて見据えてくる。
ハーデスの瞳の表情は、いつも非常に読み取りにくい。
たった今も、ハーデスが楽しんでいるのか 立腹しているのかを判別することが、瞬にはできなかった。
「余の前で、余以外の者を案じるのはやめることだ。余は焼きもち焼きで、そなたに これほど気遣われている幸福な男に何をするかわからん」
「だめ! 氷河に ひどいことしないで!」

瞬が悲鳴のように叫ぶと、ハーデスは、もしかしたら地上に来て初めて、はっきりした感情を 瞬の前にさらけだした。
ほんの短い時間ではあったが、明瞭に不快の念を。
「そなたを悲しませることは、余にはできない」
ハーデスはすぐに、駄々っ子に負けた大人の微笑を作り、それで彼の真意を覆い隠してしまったが。
優しく見えないこともない柔和な その笑みに、瞬の心は凍りついた。

「だが、気に入らん」
短く、ハーデスが そう言ったような気がした。






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