そのことがあってから、黄金聖闘士たちによる瞬へのアプローチは ますます激しくなっていった。
あのデスマスクが、
「おまえ、頭に超の字がつくほどの甘党だそうじゃないか。蟹シャブ、蟹スキ、蟹ドリアもいいが、アテネの街にバクラヴァを食いに行こう。蜂蜜をかけて、死ぬほど甘くしてな」
と、全く悪気のない顔で言ってくるのである。
いよいよ人類滅亡の時が近付いてきたかと、青銅聖闘士たちが恐れおののいたとしても、それは彼等が臆病だということの証左にはならないだろう。
瞬による あの世への帰還嘆願以前の黄金聖闘士たちには どこかゲームに興じているような、あるいは与えられた義務の遂行にいそしんでいるようなところがないでもなかったのだが、嘆願以降の彼等は 微妙に形相が変わり、それこそ一意専心、不惜身命、瞬を口説き落とすことに命をかけているような気迫さえ感じられるようになってきていた。

「ほんとに なんなんだよ、いったい! 黄金聖闘士たちは、まじで気が違っちまったのか !? 俺は、おまえに贈るために いそいそと花を摘んでいるアイオリアの少女趣味な光景なんてものは見たくねーっての!」
「うむ。俺も、できれば、老師には歳相応に落ち着いていてもらいたい。老師は、ここのところ、腕に新たに入れる刺青を『アンドロメダ命』と『瞬 命』のどちらにするかで悩んでいる」
「あの老師が !? それって、あれか? 老いらくの恋ってやつか? 目も当てられない事態だな。それもこれも、おまえが、お得意の“人を傷付けるのは嫌い”精神を発揮して、黄金聖闘士たちに きっぱりオコトワリを入れないからだぞ、瞬!」
「そんな……」

仲間たちに責められて、瞬が泣きそうな顔になる。
黄金聖闘士たちの乱心の原因は もしかしたら自分にあるのかもしれないと思わないでもなかったが、その責任が自分にあるとは、さすがの瞬にも思いづらいところがあったのだ。
「だ……だって、相手は黄金聖闘士なんだよ。あれ以上、どうきっぱりしろっていうの」
「確かに……きっぱりお断わりするのは、逆効果かもしれないな。かえって黄金聖闘士たちの闘争心を燃え立たせるのに役立つだけなのかもしれん。現に、瞬が あの世への帰還嘆願をしてから、彼等の攻撃は激化している」
「きっぱりオコトワリが逆効果って、んじゃ、俺たちには打つ手なしかよ? 瞬が根負けして、奴等の中の誰か一人を恋人に選ぶまで、俺たちは このまま手をこまねいて見てるしかないってのか !? 」

敵の力が強大であればあるほど、目の前に立ちはだかる障害が大きければ大きいほど、闘志を燃やすのがアテナの聖闘士である。
“手をこまねいて、事態の推移を見守っているだけ”などということが、星矢にできるわけがない。
「氷河! おまえはそれでいいのかよ! んな、雨不足で殻の中に引きこもってるデンデン虫みたいに黙ってねーで、何とか言えよ!」
星矢は、盛りのついた猫のように いらいらしながら、先ほどから仲間たちの会話に加わらず沈黙を守っている氷河を怒鳴りつけた。
解決策を求めて――というより、多分に 八つ当たりで。

が。
もはや時間以外に この異常事態を解決できるものはないと思える今の状況下で、氷河は懸命に打開案の模索に努めていたらしい。
星矢に怒声を叩きつけられると、彼は意を決したように、深く顎を引き 頷いた。
そして、おもむろに口を開く。
「秘策がある」
「秘策?」
「ああ。へたをすると、黄金聖闘士たちだけでなく、俺たちも傷を負うことになりかねない諸刃の剣の策だが、背に腹はかえられない。肉を切らせて、骨を断つ。もはや、これ以外に策はない」

その“秘策”は かなりの危険を伴うものらしく、氷河の面持ちは悲壮そのもの。
しかし、困難や試練は大きければ大きいほど克服し甲斐があるというもの。
星矢は、臆することなく、その身を乗り出した。
「その秘策ってのは、どんな策だよ?」
「それには、おまえの力が不可欠だ。星矢、力を貸してくれるか」
「問うまでもねーぜ!」
とにかく 現在の狂気に覆われた聖域を元の聖域に戻すためになら、どんなことでもしたい。
どんなことでもする。
かなり気負い込んで、星矢は氷河に頷いた。

氷河の秘策は――確かに、危険を伴った、そして訳のわからないものだった。
彼は、星矢に、
「おまえ、瞬に向かって流星拳を打て」
と言ってきたのだ。
「なに?」
「瞬、おまえは それをよけずに受けろ」
「お……おい……」
狂乱の中心にいるのが瞬であっても、それは瞬には何の責任もないことである。
星矢は氷河の指示に従うことを ためらった。
紫龍が、氷河の秘策の無謀を責めてくる。

「氷河。おまえの秘策というのは、瞬を死者の国の住人にすることか? 瞬の命が この地上から消え去れば、確かに事態は収束に向かうだろうが、それは やめろ。瞬に罪はない」
「いいから、俺の言う通りにしろ」
紫龍の諌止を受けても、氷河は その秘策を放棄する気はないようだった。
ためらう星矢に、瞬が微笑んで頷く。
「氷河には、きっと何か深い考えがあるんだよ。僕は大丈夫だから、星矢は氷河の言う通りにして。無抵抗でも、聖闘士の身体だもの。死ぬことはないと思うよ」
「いや、でもさー」
なおもためらう星矢を、瞬が微笑で後押しする。
星矢が結局 氷河の指示に従って瞬に流星拳を打ち込んだのは、
「ああ、そういうことか。なるほど。確かに、それは諸刃の剣になりかねないが、有効な手ではあるかもしれん。星矢、大丈夫だ。思い切り打て。加減はするなよ。瞬の身の上に降る危険が中途半端な方が かえって危険だ」
という、紫龍の言があったからだった。

「瞬、わりい。何があっても、俺を恨まないでくれよ」
事前に瞬に詫びを入れ、その拳に力を蓄える。
そして、星矢は、手加減の全く為されていない渾身の拳を、仲間の胸に向かって放ったのである。
「ペガサス、りゅーせーけーんっっ!」
幸か不幸か、星矢の流星拳は、瞬の身体にかすりもしなかった。
瞬がよけたからではなく、
「星矢ーっ、貴様、俺の弟に何をするーっ!」
と咆哮して星矢と瞬の間に立ちはだかった瞬の兄が、鳳凰の羽ばたきで星矢の流星拳を打ち返してしまったから。
おかげで星矢は、危うく自分の拳で命を落とすところだった。

「出たな、一輝!」
氷河の秘策とは、これだったらしい。
自分の計略が想定通りに進んだことを喜んでいるような、残念に思っているような、複雑な声と顔で、氷河は瞬の兄を出迎えた。
「星矢! 貴様という奴は! 瞬がおまえに何をしたというのだ!」
氷河の歓迎の辞を無視して、瞬の兄が、最愛の弟に手加減のない攻撃を加えようとした星矢に向かって怒りの小宇宙を燃やし始める。
「ちょ……ちょっと待てよ! 一輝、落ち着け! 俺が瞬に拳を向けたのは、氷河にそうしろって言われたからだっ」
「なんだとっ !? 」

星矢のその言葉を聞くなり、一輝の攻撃的小宇宙が即座に その向きを変える。
しかし、氷河は、瞬の兄の憤怒の小宇宙にも、悪鬼のごとき形相にも、動じた様子は見せなかった。
むしろ、そんなものを完全に無視して、事実だけを瞬の兄に知らせる。
「黄金聖闘士たちが、貴様の 最愛の弟の清らかな心を汚そうとしている」
淡々とした口調で語られる氷河の報告を聞いた一輝の小宇宙は、また別の方向に向かって 激しく燃え上がり始めた。






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