どうやら 危険な双六ゲームに挑戦するというアテナの聖闘士の宿命は避けようがない――らしい。
紫龍と沙織の やりとりを 全く楽しまず浮かぬ顔で聞いていた氷河は、だが、アテナの聖闘士に課せられた宿命とやらに、意欲も興味も抱くことができずにいたのである。
それが 地上の平和と安寧を脅かす危険なゲームだからというのではなく、神々の姑息な罠を案じるからでもなく――ただただ億劫だから。
人間の人生には、そんな双六ゲームなどより もっと重要で重大で、かつ できるだけ早い時期に絶対に解決しなければならない問題があるというのに、何が嬉しくて その重要問題を後まわしにし、いけ好かない神々が作った双六ゲームなどのために 貴重な時間を割かなければならないのか。
それが、氷河の本音だったのである。

彼が その本音を言葉にしなかったのは、彼がその本音を口にする前に、彼の重要な問題を解決できる ただ一人の人が、突然、
「僕、このゲーム、やってみたい」
と呟いたからだった。

「なに?」
ハーデスたちが作った双六盤にある“実現するイベント”は、ごく少数の例外を除いて、邪神たちの正直な欲望を反映した不吉な項目ばかりである。
だというのに、この双六ゲームの いったい何が瞬の心を引きつけたのか。
まさか、瞬に限って、『お菓子の家を見るためになら、グレイテスト・エクリップスもやむなし』と考えるようなことはないだろう。
では、いったい何が。

氷河は初めて まともに、幅2メートルほどのセンターテーブルいっぱいに広げられた双六盤に視線を落としてみたのである。
そうして、そこに記されている各マスの内容を読み、彼はギリシャの邪神たちの特異なセンスに、ある意味で 大いに感嘆することになったのだった。
「見事に統一性のない双六だな。日常と非日常を無理矢理 融合させたゲームというか何というか……。『グレイテスト・エクリップスが実現する』の一つ手前が『風呂に入って1回休み』だ。これは同レベルで並べることの許される項目なのか」

そういえば、かの冥府の王ハーデスは、自身の肉体の美しさや その魂を宿らせる人間の清らかさには異様なほど拘泥するくせに、寝癖のついた自分の髪を直そうともしない頓珍漢な神だった。
そんなことを考えながら、ゲーム盤の各マスに書かれた文字を読んでいた氷河の目が、ある一つのマスの上で動かなくなる。
氷河の心を捉え、その視線を釘づけにした一つのマス。
それは、『恋の告白の返事をもらう』という文字が書かれた小さなマスだった。
アテナの聖闘士が わざわざ時間を割いて興じるほどの価値も意味もないゲーム――という氷河の認識は、その1マスによって 鮮やかに覆されてしまったのである。
「まあ、どうせ暇なんだし、やってみてもいいかもしれんな」

「おい、氷河! おまえまで……!」
おそらく最後まで『くだらん』の一言で、氷河はこのゲームを拒み続けるだろう――と、紫龍は思っていた――期待していたのだろう。
信じていた仲間の造反に会って、紫龍は本格的に慌てることになったようだった。
「おまえたちはどうして、そう安易なんだ! おまえたちは、このゲーム盤をちゃんと見ているのか !? 見ろ! ここなんか、『黄泉比良坂の穴に落ちる』なんて縁起の悪いマスがあるんだぞ!」
「でも、『黄泉比良坂に落ちて死んだプレイヤーを生き返らせる』のマスもあるよ」
「そうそう。落ちるかどうかわかんねー穴の心配より、汁粉のこと考えようぜ。お・し・る・こ!」
「うむ。それに、何といっても、これはアテナの命令なわけだしな」
「うー……」

賛否の比率は、3:1。
多数決の原則からしても、最大多数の最大幸福の見地からしても、アテナをヒエラルキーの頂点に置く聖域の専制君主制の政体を考えても、この状況は圧倒的に紫龍に不利だった。
そこに、聖域と聖域の聖闘士たちに対して無制限の権力を有する女神アテナが、最終決定を宣布する。
「言ったでしょう。最終的に誰かがゴールに辿り着けば、すべては元に戻るの。仲間たちが奮闘空しく倒れても、その屍を乗り越えて、ただ一人でいいから誰かがゴールに辿り着く。それって、あなたたちの いつもの展開でしょ。大事なことは、途中で投げ出さないことなのよ」

雀の千声、鶴の一声。
にっこりと微笑むアテナにそう言われ、2個のサイコロと、高さ5センチほどの ちまコレ聖闘士フィギュアを4体、及び『じゃ、ゲームが終わった頃に また来るわ』の辞去の言葉を渡された時点で、アテナの聖闘士たちの宿命は もはや避けられないものになってまったのである。
こうなってしまっては紫龍も、情と義のために死ぬ覚悟を決めるしかなかった。
もっとも、氷河、紫龍、瞬が最初の一振りで揃って3を出し、平和に『お汁粉で腹ごしらえ』をする横で、ただ一人2を出してしまった星矢が絶望の悲鳴をあげつつ懸垂500回を余儀なくされるという出だしは、この双六ゲームが波乱万丈の展開を呈するだろうことを暗示して、あまりにも不吉ではあったのだが。






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