「あ、ひどい」 過酷な聖闘士の宿命も半ばを過ぎた頃、6の目を出して その数だけ進んだ瞬が、小さな声を洩らした。 瞬が進んだマスの中に書かれていた文言は『更に8マス進む』。 つまり瞬は一度に14マス進むことができたわけで、できるだけ早いゲームの終結を望む瞬には、それは喜ばしい事態のはずだった。 が、どういうわけか今回ばかりは それは瞬にとって不都合な展開だったらしい。 瞬は、 「やだ。1マス、オーバーしちゃった」 と ぼやき、更には、 「この先、『戻る』はないかな……」 と言いながら、とあるマスへの執着を示し始めた。 どうやら それこそが、瞬に この双六ゲーム参戦を決意させたイベントだったらしい。 いったい それは何だったのかと、氷河は 今瞬の駒が置かれているマスの一つ手前のマスの内容を確認したのである。 そこには、『会いたい人に会える』という文章が記されていた。 その事実を認めた氷河は、途端に機嫌と気分が悪くなってしまったのである。 つまり、瞬は、一輝に会いたくて、このゲームに参加することを決意した――のだ。 その事実を知らされた氷河に上機嫌でいることを求めるのは 無理な話だったろう。 その上、むかむかしながら氷河が振ったサイコロの目は11。 その数だけ進んだ先のマスに記されていたイベントは、『絶対零度の凍気に犯される』。 氷河は、機嫌最悪のまま絶対零度の凍気に犯されて仮死状態になり、ラウンジの床に物も言わずにぶっ倒れることになってしまったのだった。 幸い 彼にはアンドロメダ座の聖闘士という 心優しく頼もしい仲間がいて、その仲間が、 「ゲーム盤には『助けるな』とも書かれてないし、僕、氷河を復活させてもいいんだよね?」 と言いながら、冷凍睡眠状態の白鳥座の聖闘士を その小宇宙ですぐに蘇生させてくれた。 当然 氷河は、また あの感動を味わうことになったのである。 今回は その蘇生措置の後も瞬の意識があったので、さすがの氷河も 滂沱の涙を流しすことによって その感動のほどを仲間たちの前に披露すねことはできなかったのだが。 氷河にとっては幸運なのか不運なのかわからない そのイベントのおかげで、アテナの聖闘士たちに わかったことが一つ。 それは、この双六ゲームが アテナの聖闘士でないと終わらせることのできないゲームなのだということ。 このゲームは確かに アテナの聖闘士たちに課せられた 彼等の宿命だった――ということだった。 『絶対零度の凍気に犯される』のマスに進んだ者が 絶対零度の凍気の中から復活を果たすことができないと、次にその人物がサイコロを振る番が来た時、彼はそれができない。 このゲームの制作者たちが、『1回休む』の指示が出ているわけでもないのにゲームの順番を乱すことを許すとは思えず、当然 このゲームは冷凍睡眠状態になった者が復活を果たすまで膠着状態――実質、無期限の中断状態――に陥るだろう。 沙織が この双六ゲーム完全消滅のために、彼女の聖闘士たちにゲーム遂行を命じたのは 正しい判断だったのだ。 最初から、アテナの聖闘士たちの他に、このゲームを完遂できるメンバーはいなかったのだから。 とはいえ。 苦難と試練に慣れたアテナの聖闘士たちにも、この宿命のゲーム完遂の道は あまりに険しく苦しいものだったのである。 なにしろ、氷河が(二度目の)奇跡の復活を果たした途端、今度は紫龍が『黄泉比良坂の穴に落ちる』のマスに進んでしまったのだから。 「しまった……!」 それが、紫龍の(何度目かの)最期の言葉だった。 彼の魂は すみやかに黄泉比良坂の穴に向かって飛び去り、彼の肉体はラウンジのソファに腰掛けた状態で微動だにしなくなってしまったのである。 一般的には、それは極めて重大で深刻な事態なのだが、仲間の死亡や仮死、半死半生の事態に、アテナの聖闘士は慣れていた。 感受性が強く 繊細な神経を持っているはずの瞬も、それは例外ではない。 瞬は極めて落ち着いた態度で、双六盤のマス目を辿り、自分が出すべきサイコロの数を確認したのである。 「僕が8を出せば、紫龍を復活させられるみたい」 「でも、5が出たら、おまえも黄泉比良坂行きだぞ」 「ん。気をつけるよ」 気をつけたところで どうなるものでもないのに――と思った星矢の前で、瞬が見事に4・4の8を出す。 瞬がゲーム盤の上のピンクのアンドロメダフィギュアを出た目の数だけ進めると、紫龍は すみやかに――“あっけなく”と言い換えてもいいほど すみやかに――その息を吹き返したのだった。 死と再生が ここまで軽いものになっている事実――軽く感じられるようになっている現状――は、決して好ましい事態ではないだろう。 人間の生と死は 基本的には ただ一度きりのものであり、だからこそ価値も意味もあるものなのだ。 だが今ばかりは――今のアテナの聖闘士たちにとっては――それは“好ましいこと”だった。 死んだ人間が、ゲームのリセットボタンを押す代わりにサイコロを振ることで復活する。 それは、とりもなおさず、まんじゅうの雨のせいで悲惨なことになっている地上や怪我人たちが(もしかしたら死者も)、この双六ゲーム完遂の暁には従前の状態に戻ることを保障する事象だったから。 ゴールに辿り着きさえすれば、地上の安寧と人類の命は守られるのだ。 その確信を与えられたせいか、復活成った紫龍に、 「久し振りの黄泉比良坂はどうだった?」 と尋ねる星矢の声は、心なしか明るく弾んだものだった。 「本当に聞きたいのなら、話してやらないこともないが」 と答える紫龍の声と表情は、全く楽しそうではなかったが。 星矢は、紫龍の黄泉比良坂往還報告を“本当に”聞きたいわけではなかったらしい。 仏頂面の紫龍の前で ひらひらと右手を振ると、星矢は さっさと このゲームで仲間の命を救う大仕事を既に2度も成し遂げたアンドロメダ座の聖闘士の方に向き直った。 そして、呆れたような顔で瞬に言った。 「しっかし、おまえ、デスクィーン島を引き当てるくらい、くじ運悪いはずなのに、ここぞって時には 狙った通りの目を出すな」 「そ……そう?」 「おまえくらいだよなー。この双六で活躍してるのって。氷河や紫龍は死ぬことしかできてないし、俺はお菓子の家が現われても、まんじゅうが降ってきても食えないし。今にして思えば、お菓子の家や まんじゅうは、俺をゲームに参加させるためのエサだったんだな、エサ。しかも、食えないエサだ。釣られた俺が馬鹿だったぜ、畜生!」 どうせエサの準備ができているのなら、出現させるだけでなく、降らせるだけでなく、食わせてくれてもいいのにと考えているのが如実に見てとれる顔で、星矢がぼやく。 彼は その時点で、まだ知らなかったのである。 食えないエサに釣られて この双六ゲームへの参加を決めた男が、自分の他にもう一人いたことを。 そして、その男が、彼の食えないエサのあるマスを睨み、その瞳に厳しい光をたたえていることを。 |