そうして、瞬が兄の許に帰ったのは その翌日。 弟の無事な姿を見て安心する兄の顔を見て、自分が どれだけ兄に心配をかけていたのかを思い知り、瞬は自分の軽率を深く後悔したのである。 いがみ合っている二つの公爵家を“仲のよい”友人同士にできるのではないかという希望を抱いて、深く考えもせず、宿敵の懐に飛び込んでいったことを。 だが、兄に抱きしめられ、城内の者たちの安堵した顔を次から次に見せられても、瞬の心は晴れなかった。 やっと安全な場所に戻ることができたというのに沈んだ表情でいる瞬に、家令が、 「北の公爵に無体なことをされたのでは」 と尋ねてきた時には、 「氷河は、そんなことする人じゃありません! 氷河は親切で優しくて、礼節を重んじる立派な人です!」 と、声を荒げて反駁していた。 自らの軽率な行動がどんな結果を引き起こすのかを考えもせず、皆に迷惑をかけた愚か者の身を案じてくれていた人を怒鳴りつけている自分に、瞬は嫌悪と罪悪感を覚えたのである。 瞬はすぐに謝罪し、そんな瞬に家令は、 「さぞかし 恐い思いをされたのでしょう。おかわいそうに」 と、かえって いたわりの言葉をかけてくれたのだった。 南の公爵家の者たちは皆、いつも瞬に優しかった。 その優しい人たちの許に帰ってこれたというのに、だが、どうしても、瞬は自分がここにいることを喜ぶことができなかったのである。 それが申し訳なくて――瞬は、自分が生まれ育った城に帰ってきてからずっと、自室にこもって過ごしていた。 城の者たちは皆、悪魔のような北の公爵の許で 命を削るような思いをしてきたのだから、それも無理からぬことと考え――中には、瞬が北の公爵に無体なことをされて傷付いているのだと考えている者もいるようだった――瞬の心身を案じはしても、その振舞いを奇異なことと感じてはいないようだった。 そんな瞬の許に従弟の星矢が飛び込んできたのは、瞬が兄の許に戻って5日が経った日の午後のこと。 「おい、瞬。北の公爵が、百合の指輪を返してきたそうだぞ。いったい、どういうことなのか、おまえ知って――」 生気を失った花のように、瞬は今日も自室で寝込んでいるものと思って、星矢は わざと元気よく瞬の部屋に飛び込んできたのだろう。 しかし、彼は、半病人が寝込んでいるはずの部屋の中央に、すっかり身仕舞いを整え、腰には剣を 「瞬、おまえ、これからどっかに討ち入りにでも行くつもりか? なら、俺も一緒に――」 瞬が閉じこもっていた部屋から出る気になったのなら、それは喜ばしいことである。 そう思って、星矢は瞳を輝かせ、弾んだ声で彼の従兄に尋ねてきた――おそらく。 そんな星矢に、彼を驚かすばかりの答えを返さなければならないことを、瞬は心から すまなく思ったのである。 だが、瞬は、他にどうしようもなかったのだ。 自分が生きていくために、それは どうしても為されなければならないことだった。 「僕、これから、北の公爵家に、北の公爵を さらいに行く」 「……は? おまえ、何を言ってるんだ?」 従兄の突然の、しかも完全に真顔での 突拍子のない宣言を聞かされた星矢が、まだ その言葉の意味を理解しきれていない口調で、瞬に問い返してくる。 氷河に出会う以前の自分がそうだったように、まだ恋を知らない星矢の他意のないまっすぐな視線が、瞬の心を切なくさせた。 「僕……僕、氷河が――北の公爵が好きなの。好きになってしまったの。こんなふうに好きだったなんて、今頃 気付く僕は本当に愚かだと思うけど――氷河と離れているのが苦しい。氷河に会いたい。いつかまた会えるっていう希望だけじゃ、生きていけない。今すぐ氷河に会えなきゃ、僕、死んでしまう……!」 「き……北の公爵が好きって、なんで そんなことに――いや、んなことはどうでもいい。いや、どうでもよくはないけど、今はどうでもいい。瞬、おまえ、ちょっと落ち着けって。おまえ、自分が何をしようとしてるのか、わかってんのか? 北の公爵を さらってくるって、そんなことしたら、せっかく武力衝突が避けられたっていうのに、今度は北の公爵家が兵を集めて、こっちに攻め込んでくることになるだろ!」 星矢に落ち着けと言われた瞬は落ち着きはらっており、瞬に落ち着けと言っている星矢は全く落ち着いていなかった。 「そんなことにはさせないよ。兄さんたちに迷惑はかけられないから、僕はもう この城には戻ってこない」 落ち着いた声で そう告げた瞬の前で、星矢が 酸素の足りていない魚のように口をぱくぱくさせる。 その口は肺に酸素を取り入れることだけで精一杯で、言葉までは作れずにいるようだった。 言葉を作るどころか、声も出せずにいる星矢の代わりに、瞬の決意に応じてきたのは別の声。 それは、瞬の部屋から庭に向かって突き出しているバルコニーの すぐ脇にある樫の木の上から響いてきた。 |