absolute loyalty

〜 いちごさんに捧ぐ 〜







今年は長く厳しい冬のせいで、桜の開花が遅かった。
城戸邸の庭に1本だけある古い桜の巨木も、花が満開になったのは、4月に入って1週間以上が経ってから。
氷河が瞬に、
「俺はおまえが好きなんだ」
と告白したのは、そんな満開の桜の下。
瞬は、夜ごとに姿を変える月にかけて誓われたロミオの心を不安がったジュリエットのように、
「この桜が散ったらどうしよう」
と、氷河に問うてきた。
問われた氷河は すぐさま瞬を城戸邸の庭の南側に連れていき、生きている薔薇の中では最も花期が長いローズフォーエバーガーデンの白い花の前で、同じ言葉を繰り返したのである。
その機転が効を奏したのか、瞬は笑って、
「ありがとう。嬉しい。僕も氷河が好きだよ」
と答えてくれたのだそうだった。

星矢たちが 氷河から その報告を受けたのは、氷河の告白の3週間後。
4月も末と呼ばれる頃になってからのことだった。

「へー、おまえ、改まって瞬に告白したのか。しかも、半月以上も前に? なんで すぐに教えてくれなかったんだよ? 振られたんじゃないのなら、めでたいことなのにさ」
瞬のOKを手に入れた直後の浮かれた氷河に そんな報告をされても、『はいはい、よかったねー』程度のコメントを言うことしかできなかったろうが、事件から(?)半月以上の日にちが経った今になって、仏頂面の氷河に、
「教える義理もないからな」
と言われるのも、あまり楽しいことではない。
「義理はなくても義務はあるだろ。仮にも おんなじ屋根の下で生活を共にしている仲間の人間関係に変化が生じたんだぜ。こっちにも都合ってもんがあるんだ」
星矢は少々不満顔で、仲間の水臭さを責めたのである。
仲間に責められても、氷河は反省した様子を全く見せず、それで星矢の不満は ますます募ることになった。
そんな星矢をなだめるように、紫龍が脇から口を挟んでくる。

「しかし、星矢の言う通り、改めて告白する必要はなかったのではないか? おまえのアプローチは いつも露骨すぎるほど露骨だった。そちらの方面に疎い瞬にも、おまえの助平心は ばればれだったろうに」
紫龍の疑念に、氷河から、
「告白しないと、瞬の気持ちが確かめられないじゃないか」
という、至極尤もな答えが返ってくる。
自分の気分にのみ頓着し、他人の感情や都合は ほとんど意に介することのない氷河でも、こればかりは自分一人の都合で事を進められるものではない。
それは氷河にも わかっているらしかった。

「なるほど。で、めでたく確かめることができた、と」
「そりゃ、実に結構なことだけどさ。なんで、今になって俺たちに知らせる気になったんだよ?」
『教える義理もない』と思っていたことを仲間に知らせることになったのは、そうしなければならない事情が氷河の上に生じたからだろう。
だが、その事情がどんなものなのか、星矢には とんとわからなかった。
最近 アテナの聖闘士たちのいる環境には どんな変化も起きていなかったのだ。
4月の初めから4月の末へ。
それだけの時間が経過したということだけが、変化と呼べる変化だった。

が、氷河が『教える義理もない』と思っていたことを仲間に教えなければならなくなったのは、アテナの聖闘士たちの生活環境の変化によるものではなく、日本国内の環境の変化によるものだったらしい。
氷河は、星矢の質問に、
「世の中がGWに突入したからだ」
と、ぶっきらぼうに答えてきた。
「GW? 二人でどっかに遊びに行く計画でも立ててんのか? 俺たち、別に止めたりしねーぞ。俺たちも一緒に連れてけなんて、野暮なこと言うつもりもないし」

アテナの聖闘士たちは、もともと世間のカレンダーには連動していない日々を送っている。
GWだからといって、特別に何かをする予定もない。
星矢の脳内スケジュール帳には、せいぜい『端午の節句にはチマキを食べる』程度の予定しか記載されていなかった。
ゆえに、星矢は、仲間の人間関係の変化に対して、彼なりに寛大な理解を示したのである。
星矢はそのつもりだった。
が、星矢の寛大と理解は、氷河には有難くも何ともないものだったらしい。
彼はむしろ、星矢の理解の悪さに苛立っているような素振りを見せた。

「俺は、どこに行っても混雑している こんな時季に、瞬以外の人間の顔が居並んでいるところに外出する気にはならん。全く逆だ。このGW、俺は城戸邸にこもって、瞬との愛を深めるつもりでいる。そこに貴様等がいると何かと邪魔だから、貴様等には どこかに遊びに行ってもらいたい。日帰りでは意味がないぞ。もちろん泊まりがけでだ」
『日帰りでは意味がない』というからには、氷河が深めようとしている愛は、主に夜に深まるものなのだろう。
そのこと自体を不健全と責めるつもりはなかったが、氷河の要請は、残念ながら星矢たちが即座に実行できるようなものではなかったのである。
「GWに突入した日に そんなこと言われたって無理に決まってるだろ。今は、日本中の人間が 法律で義務づけられたみたいに旅行だ観光だと頑張ってる時なんだ。それも かなり前から計画を立てて。そこに今日 急に俺たちが割り込む余地なんかあるわけないじゃん」
星矢の主張は 理に適い、現実にも即していた。
しかし、理に適い、現実に即していることが、氷河に受け入れられるとは限らない。
もちろん、氷河は、星矢の主張を受け付けなかった。

「貴様等、俺の恋路を邪魔するつもりか !? いや、貴様等は ここにいるだけで邪魔なんだ! 俺が瞬と決定的な行為に及ぼうとした時、同じ屋根の下に貴様等がいたら、瞬が気後れして尻込みするかもしれないじゃないか!」
「俺たち、別に んなこと気にしねーぜ?」
「おまえが気にしなくても、瞬が気にするんだっ! 俺の瞬は繊細で、気にしなくていいことまで気にするし、気遣わなくていい奴等のことまで気遣う。瞬の周囲の人間は、そんな瞬に気を遣わせずに済むように、瞬を気遣わなければならんのだ!」
「へー……」

自分の都合しか考えない男だった氷河が、瞬の気持ちをおもんぱかるという奇跡を成し遂げている。
恋というものは、たとえ それが氷河であっても、人間的成長を促すものであるらしい。
その素晴らしい力。
この素晴らしい現実。
星矢とて、できることなら、この奇跡を生む恋に協力してやりたかったのである。
もちろん、協力してやりたかった。
できるものなら。
しかし、できないものは アテナの聖闘士にもできないのだ。

「でもさー。俺たちがいなくなっても、住み込みのメイドやら何やら、邪魔者は他にもいくらでもいるじゃん。俺たちだけ 追っ払っても あんまり意味ないんじゃないかあ?」
「彼等にも できる限り休みをとらせる。まあ、一般人がいても、小宇宙で何かを感じ取られることはないから、それは大きな障害にはならんだろう。彼等は、用がなければ話をする必要もない相手だ。問題は、用がなくても無視するわけにはいかず、小宇宙のちょっとした変化も感じ取れてしまう貴様等の方だ」
「そこいらへんは考慮済みってわけか。でも、んなこと急に言われても、時季が悪すぎるぜ」
「うむ。GWはどこも人でいっぱいだろう。国外に出るにしても、飛行機のチケットが取れるかどうか。まさか、おまえの邪まな計画のためにジェットヘリを出してくれと、沙織さんに頼むわけにもいかんし」
「チケットが取れないなら、歩いていくなり、泳いでいくなりすればいいだろう。沖縄でもハワイでも地中海にでも! とにかく邪魔なんだ、貴様等は!」

恋をして、確かに氷河は 自分以外の人間の心を慮ることができるようになった。
しかし、どうやら氷河が慮れるようになったのは、瞬の心だけらしい。
人の心どころか その都合すら考えずに無茶を言う氷河に、星矢と紫龍は呆れ果ててしまったのである。
「あのなー……」
恋に とち狂っている男に、星矢が一言 物申すべく口を開きかけた時だった。
「失礼します。あの、瞬様にお客様なんですけど」
そう言って、城戸邸のメイドが ラウンジのドアから顔を覗かせたのは。
たった今、氷河が、『用がなければ話をする必要もない相手』と断じた一般人の一人。
しかし、用がある時には、氷河でもちゃんと口をきく。

「瞬に客? どうせまた、どこかで瞬を見掛けて 女の子と勘違いした身の程知らずで助平な大馬鹿野郎だろう。追い返せ」
「それが……そういう人たちとは ちょっと様子が違うんです」
「様子が違う?」
『様子が違う』とは、いったい どういうことなのか。
それまで自分の恋路の最大の障害である(と彼が思っている)星矢と紫龍の排斥に専心していた氷河が、初めて その顔をあげ、ドアの脇に立つメイドの方に視線を巡らす。
そうして氷河は、いかにも無害で非力そうな一人の使用人が 凄まじく不吉な小宇宙をまとっていることに気付いて、ぎょっとすることになったのだった。
もっとも、その小宇宙は、一見無害そうなメイドが生んだものではなく、その背後に立つ者――おそらく彼女の諌止を押し切って邸内に入り込んできた客――が発しているものだということに、氷河はすぐに気付いたが。

確かに、その小宇宙は尋常のものとは“様子が違って”いた。
まず絶対にアテナの聖闘士のものではない。
黄金聖闘士並に強大ではあるが、力の大きさ強さより、不吉な“感じ”が かもしだす印象の方が はるかに強烈である。
様子の違う客人が助平な大馬鹿者でないとは言い切れないが、彼が 身の程知らずでないことは確実だった。
氷河も、それだけは認めないわけにはいかなかった。

その客人が、ドアの陰から不吉な影を垣間見せている。
「こちらの世界では、そのように不埒な輩が 図々しくハーデス様に面会を求めてくるようなことがあるのか。実にけしからん話だ」
聞き覚えのない声。
だが、どこかで接したことがないでもないような気配。
その客人の方に顔を向けたまま 氷河が眉をひそめたのは、だが、彼の声や小宇宙のせいではなく、まるで勿体振っているかのように、その姿をアテナの聖闘士たちの前に即座に現さない彼の登場の仕方のせいだったろう。
しかも その勿体振った男は、氷河の聞き違いでなければ、瞬のことを『ハーデス』と呼んだ。
にこやかな微笑みと共に客人を室内に招き入れることを 氷河に求めるのは、女神アテナにも できないことだったろう。






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