山と山の間の狭い平地に 山賊たちの村はあった。
緑したたる木々に囲まれた小さな村。
村の戸数は100余り。
人口は400から500といったところのようだった。
家屋のほとんどは 木と漆喰でできた こじんまりとした建物だったが、中に一つだけ 山間の村には不似合いな石造りの堅固な建物があって、どうやらそれが山賊の頭目兄弟の住まいと山賊たちの集会所を兼ねた館らしい。

村に着くなりヒョウガが連れていかれたのは、だが、その石造りの館ではなく、館の東側にある一軒の家。
シュンと守り役だけが隊列を離れて その家に直行することになったのは、その家がシュンの守り役の家で、かつ、その家に病人がいたから。
家の奥の寝室に並んでいる二つの寝台に、7、8歳の男の子が二人、頬を真っ赤に紅潮させ、苦しげに息を荒げて寝込んでいた。
それが、この村がヒョウガを必要とすることになった原因の病人たちのようだった。

「この子たちの他にも、同じように熱を出して起き上がれなくなっている者が村中に15人ほどいるの。そのほとんどが子供で、大人も2、3人」
病人たちの症状は、高熱と嘔吐、意識は比較的はっきりしているが、舌がしびれて話がうまくできないといったものだという話だった。
3日前に、村の子供たちが 一斉に倒れ、少し遅れて大人の病人が出始めたらしい。
『医者の振りくらいならできる』と豪語して、軍医の交代要員という偽の身分を 軽い気持ちで引き受けたのだが、実はヒョウガは正式に医学を学んだことはなかった。
戦場で頻発する疾病の症状や治療法、負傷した兵のための簡易の外科技術を知っているだけで、小児科は完全に管轄外。
しかし、幸運なことに――これを幸運と言っていいのかどうかは さておいて――村の子供たちが示している症状と同じ症状が、ナポレオン戦争中に、補給を絶たれたイタリアの部隊で起きた記録を、ヒョウガは読んだことがあった。

「舌がしびれて話ができない? ああ、それは多分 アロカシアの中毒だな」
「アロカシア?」
「別名クワズイモというんだが、子供たちが遊び場にしていたようなところに、サトイモに似た植物はなかったか? アロカシアは葉や茎にシュウ酸カルシウムを持っている。触れると皮膚から毒を吸収し、その手を舐めたりしたら、舌がしびれて話ができなくなるんだ。患者のほとんどが子供だというのなら、大人たちは その子供から毒をもらったんだろう」
「きっとそれだ! 二人が倒れた日、イモを掘って取ってこようとしたのに、まだ食えるほどの大きさになっていなかったというようなことを、この子たちは言っていた!」

ヒョウガの背後で ほとんど歓声のような大声をあげたのは、シュンの守り役――というより、二人の病人の父親――だった。
病の原因がわからないせいで、彼は よくないことばかりを想像していたのかもしれない。
原因がわかっただけでも、彼はかなり気が楽になったようだった。
他人の物を力づくで奪って生きている山賊にも、家族の情愛はあるらしい。
もっとも不殺を心掛けている山賊というものは、一般的な山賊のイメージから大きく かけ離れたものだったが。

「中毒……ということは伝染病ではないんだね! 治療できるの?」
「治療というほどのことは――水を多くとらせて、とにかく毒を体外に排出することだ。よほど大量に摂取したのでない限り、命に危険はない。毒を吸収した日から4、5日もすれば、毒は全部体外に出る」
命に危険はないと聞いたシュンが、その瞳を明るく輝かせる。
その喜びようは、ヒョウガの心をも浮き立たせた。
もっとも 今のヒョウガの胸中には、子供たちの病が自分の知っているものでよかったと安堵する気持ちの方が大きかったが。

「毒の排出に4、5日――ということは、明日明後日には回復すると思っていいのかな?」
「それまで体力が続きさえすればな。毒を吸収してしまったのが赤ん坊だったら、助かる確率は格段に小さくなる」
「体力はあるよ! みんな、毎日 野山を駆けまわっている元気な子たちだもの」
少し得意げにそう言って、シュンは病床の二人の子供たちの方に向き直った。
「お医者様が大丈夫だって言ってくれてるからね。二人とも すぐによくなるよ。もう少しだけの辛抱だから、頑張るんだよ」

シュンが子供たちの身を案じているように、子供たちもシュンを慕っているらしい。
シュンの励ましを聞くと、子供たちは懸命に笑顔を作り、シュンに頷こうとした。
守り役の細君も、子供たちは回復するという確約を得て心を安んじたのだろう。
彼女は 回復の確約を与えてくれたヒョウガにではなく、シュンに何度も何度も頭を下げ、感謝の言葉を繰り返した。

その守り役の家を皮切りに、それから ヒョウガはシュンと共に 中毒患者が出ている10軒余りの家を すべてまわり、病人とその家族を安心させてやったのである。
シュンの訪問を受けた村の者たちは、誰もが(偽)医者のヒョウガが与える完治の確約に安堵し、シュンに礼を言った。
ある意味 それは当然のことだったろう。
だが、村の者たちがヒョウガに感謝の言葉を告げないことが心苦しかったのか、病人のいる家を出るたび、シュンはヒョウガに『ありがとう』を繰り返してきた。
ヒョウガはもちろん、同じ『ありがとう』なら、美しく可憐な姫君からたまわる方が嬉しかったので、村人たちの無視を むしろ幸いなことと思ったのである。

村では、シュンは 子供たちにも大人たちにも深く愛されているようだった。
山賊たちの村にやってきた最初の数日間、シュンが山賊の頭目に祭り上げられているのは 人と戦うことや略奪行為ができそうにないシュンが 村でお荷物扱いされないように、実質的指導者の兄が そう取り計らったのだろうと、ヒョウガは思っていた。
それは あながち的外れな推察でもなかったのだろうが、もし この村の中で頭目選挙を実施したなら、シュンが圧倒的多数で選出されるのは まず間違いのないところである。
シュンは、邪気がなく、可愛らしく、誰にでも優しく親切だった。
もちろん、山賊の頭目は可愛らしさや優しさで選ばれるものではないだろう。
だが、シュンが皆の頭目でいることに不平不満を抱いている者は、村の中に一人も見当たらなかった。
兄の七光りで頭目に仕立てあげられているのだろうシュンに不満を感じている者に、ヒョウガは ただの一人も出会うことがなかったのである。






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