「この地上から、戦争や理不尽な暴力のせいで不幸になる子供たちをなくしたいんです」 それが、その新入りの パライストラでの第一声だった。 「そのために自分に何ができるのかと迷っていた僕に、アテナが道を示してくれました。精一杯 頑張りますので、よろしく お願いします」 パライストラは、アテナの聖闘士を養成する学園。 アテナの聖闘士とは、地上の平和と安寧を守護する女神アテナを守るため、地上の平和と安寧を乱す者たちと戦う戦士のこと。 アテナの聖闘士を志望する理由としては模範的といっていい入園の弁を披露した新入生は、だが、アテナの聖闘士を志望するには あまりにも貧弱な体躯の持ち主だった。 とにかく細い。 痩せぎすとまでは言えないにしても、どこに筋肉がついているのか、そもそも人並みの筋肉を有しているのかどうかさえ疑わしいほど、その新入りは華奢な肢体の持ち主だった。 「また、やけに真面目そうな奴が来たもんだな」 階段教室の最上段、つまり、新入りと その新入りを連れてきた学園長の立つ教壇から 最も遠い席に着いていた星矢は、誰にともなく そうぼやいた。 呆れているのか感心しているのか、彼自身にもわかっていないような口調で。 「あんな細っこくて、聖闘士になんかなれんのかよ。聖衣をまとう資格を手に入れて、聖衣を身に着けても、その重さに ふらふらしそうじゃん」 「おまえに人のことが言えるか」 空席を一つ挟んで星矢の左隣りの席に着いていた紫龍が、そのぼやきに反応してくる。 「一見した印象なら、おまえと大して変わらないぞ。ちびだし、細いし」 「あんなのと一緒にすんなよ。見ろ、この筋肉!」 その右腕に力こぶを作って、星矢は得意そうに顎をしゃくった。 見て楽しいものではなく、見慣れたものでもあったせいか、紫龍はさほど感心もしてくれなかったが。 「このクラスに入ってくるなら、俺と同じ15くらいだろ。これからまだ背は伸びるだろうし、あいつだって もしかしたら少しくらいは筋肉の持ち合わせがあるかもしれない。あんまり馬鹿にしないどいてやらないとな」 紫龍が『最初に馬鹿にしたのは誰なのだ』と星矢に突っ込まなかったのは、そんなことをしても無意味だということを彼が知っているからだった。 僅か1分前に自分が何を言ったか、星矢は憶えていないに決まっていた。 よほど深刻な場面でない限り、星矢は何事かを深く考えて発言することはないのだ。 「星矢、おまえ、自分より身長の低そうな奴が入ってきたことを喜んでいないか」 「えっ」 どうやら紫龍の推察は図星を突いていたらしい。 もっとも、図星を突かれた星矢は、きまりの悪い様子を見せるどころか、その顔を嬉しそうに明るく輝かせた。 「やっぱり、そう見えるか? あの新入りの方が俺より背が低いよな! へへ、俺、あいつと仲良くしてやろ」 「それはまあ……悪いことではないな」 『少々 動機が不純なようだが』と、もちろん紫龍は突っ込まない。 星矢に悪気がないことは明白だったし、とにかく星矢は物を考えて言葉を発することは滅多にないのだ。 「氷河、おまえ、どう思う?」 喜ばしい事実の二人目の保証人を求めて、星矢が 自分の一つ前の席に着いている氷河の椅子の背もたれを足で蹴りあげる。 残念ながら、彼は、新入りの身長には興味がないらしく――全く別のことが気になっていたようだった。 「あの新入り、仮面をつけていないようだが、校則が変わったのか」 「あ、そういや……」 パライストラでは、女子は仮面をつけることになっていた。 本来 聖闘士の世界は女人禁制。 基本的に アテナの聖闘士は、天空に輝く星座を模した聖衣をまとって 女神アテナのために戦う“少年たち”である。 “少年”なるものを 一概に年齢で定義することはできないだろうが――男子であれば、たとえ30を過ぎても50を過ぎても、自分は少年だと言い張ることはできるだろうが――女子は明確に“少年”ではない。 そのため、アテナの聖闘士になろうとする女子には“女であること”を捨てる必要があり、その決意の証として彼女たちには仮面をつけることが義務づけられているのだ。 とはいえ、パライストラは全寮制の学園であり、生徒たちは そこで生活というものをしている。 いかにアテナの聖闘士たらんという強い決意を持つ者でも、四六時中 仮面をつけているのは不可能なこと。 ゆえに、14歳以下の生徒で構成されているロークラスの女子は、そのルールの完全適用外。 15歳以上の生徒で構成されているハイクラスの女子も、常に仮面をつけているわけではない。 だが、ハイクラス在籍の女子は、少なくとも修学時間中は仮面をつけていなければならないことになっていた。 星矢が 新入りの身長の低さを喜んでいるのは、15歳から18歳の男女80名が在籍しているハイクラスの生徒中、彼が最も身長の低い生徒だったから。 つまり、この学園のハイクラスに在籍する女子は皆、星矢より背が高かった。 成長期の性差があるとはいえ、そして、決して世界標準で小さいわけではないとはいえ、“男の沽券”にこだわる星矢には、それは大問題だったのである。 しかし、確かに、今は身長より 新入りが仮面をつけていないことの方が気になる。 「学園長ー!」 何事かを考えて行動し 発言することが滅多にない星矢は、今日も何も考えず、勢いよく手を挙げた。 「なんだ」 学園長が、露骨に嫌そうな顔をする。 ロークラス100人、ハイクラス80人。 学園長は、パライストラに在籍する すべての生徒の顔と名前を憶えている。 星矢は特に目立つ生徒で、学園長は星矢が 聖闘士としての素質には恵まれているが、その言動には大いに問題があることを よく承知していたのだ。 星矢も、自分が学園長に問題児と思われているらしいことは認識していた。 が、他人の思惑を意に介さないからこそ、問題児は問題児なのである。 当然、星矢は 自らの疑問を解決すること優先、学園長の不機嫌に遠慮などしなかった――というより星矢は、学園長の不機嫌に気付かなかった。 「なんで その新入りは仮面をつけてないんだ?」 「なに?」 「今時 男女差別なんて古臭いって、やっと聖域も気付いたんなら、そりゃ結構なことだけどさ。でも、女の子の仮面着用ルールって、一応、女聖闘士の存在を許すようになってから何百年も守られてきた伝統ある決まり事なんだろ」 「古臭い?」 今はハイクラスの80名ほどしか席に着いていないが、本来は200名の生徒を収容できる大教室で、一瞬、学園長の小宇宙が大きく燃え上がった。 絶対に敵には まわしたくない――異様なほど、邪悪なほど攻撃的な小宇宙。 学園長の小宇宙は ほんの一瞬で感じ取れなくなったが、それは 恐いもの知らずの星矢でも ひるまずにいられないほど強大な小宇宙だった。 |