学園長の言葉は、星矢たちを驚かせた。
当然である。
それは、驚かずにいられることではなかった。
「瞬の小宇宙を聖衣で抑え込む――って、じゃあ、ペガサス、ドラゴン、キグナスの聖衣のどれかは瞬のものになるのか」
鳳凰座の聖闘士の前例を考えると、3年振りのトーナメント開催は、瞬がパライストラにやってきたから決定したと考えるのが妥当である。
それは、パライストラで その実力は特Sクラスと見なされていた三人の内の一人が、聖衣獲得競争から脱落する――ということなのだ。
「さて。それを決めるのは、俺でもなければ聖域でもなく、当の聖衣だからな」
「あ……の……」

このトーナメントでの聖衣獲得はまず間違いなしと、ほとんどの生徒教師たちに思われていた三人から、自分が聖衣を奪うことになるかもしれない――。
その考えは、瞬の心身を委縮させることになったらしい。
人から奪い取るようなことをしてまで聖闘士になりたくはないのだというように、瞬は身体を縮こまらせ 瞼を伏せた。
瞬の尻込みに気付いた氷河が、すかさず(?)瞬に告げる。
「俺はクールになり切れない甘ちゃんの男だし、聖闘士でなくても 俺がおまえの側にいることを許してくれるなら――俺は聖衣などいらないぞ」
「氷河……」
氷河の その言葉は、彼の遠慮深さから出た言葉ではなかったし、瞬への優しさや思い遣りの気持ちが言わせた言葉でもなかっただろう。
彼は、聖衣より欲しいものを手に入れるために、そう言ったのだ。
俺は聖衣などいらない――と。
もっとも 瞬は、氷河のその言葉を 彼の優しさと解し、ひどく胸を打たれたようだったが。
そして、瞬は、感動に その瞳を潤ませた10秒後、僅かに頬を上気させた。

地上の平和と安寧を守るために戦うアテナの聖闘士育成の場で、アテナの聖闘士候補者たちが いったい何をしているのか。
氷河と瞬の のどかで恥知らずなやりとりに、学園長が呆れ果てたような顔になる。
「貴様等は、貴様等以外の人間が聖衣に選ばれる可能性を全く考慮しておらんようだな」
「だーってよなあ……」
学園長の指摘に、星矢は答えになっていない答えを返すことになった。
他の生徒たちの目耳のある場所で 『その力量から判断すると、他に該当者がいない』と はっきり言ってしまうことは、何事かを考えて発言することが滅多にない星矢にも さすがに ためらわれることだったのだ。
「まあ、自分や自分以外の人間の力を正当に見極められることも、聖闘士に必要な能力ではあるがな」
すべての生徒の可能性を信じ、彼等が希望を失うことのないように教え導くことが本分であるはずの学園長の方が、残酷なまでに はっきりと事実を口にする。
星矢たちが 聖闘士に必要な能力を有していることを否定しないことで、星矢の判断が正しいことを、婉曲的にとはいえ 学園長は 多くの生徒たちの前で認めてしまったのだ。

未熟な者たちを教え導く立場にある人間として、その発言は あまりよろしくないのではないか――というようなブーイングが生徒たちの中からあがらなかったのは、トーナメント第一戦の終了で 今大会のメインイベントが終わり、トーナメント自体も終わってしまったような印象が、生徒たちの中に生まれていたからだったろう。
実際、星矢と瞬による第一戦以降のバトルは、ほとんど おまけにすぎなかった。
準決勝に星矢、紫龍、氷河と、ハイクラスの最年長者が勝ち進み、彼と戦った星矢が決勝進出を決めたところで、トーナメントの継続に 学園長からストップがかかる。
「氷河と紫龍のバトル、その勝者と星矢とのバトルを見てみたい気はあるのだが、聖衣たちが これ以上の戦いは不要だと言っているようなのでな」
そう言って、学園長は、闘技場の正面高座に置かれた4つの聖衣櫃――天馬座の聖衣、龍座の聖衣、白鳥座の聖衣、アンドロメダ座の聖衣を その中に収めた4つの箱を仰ぎ見た。
それらの中に閉じ込められている聖衣たちが、早く自分の在るべき場所に行きたいと訴えているのだろうか。
4つの箱の中から、何かが うごめき揺れているような小さな音が カタカタと洩れ出てきている。

「では、それぞれの聖衣をまとい、アテナとアテナの愛する この地上の平和と安寧を守るために励むように。生活態度不良の度が過ぎると、聖衣が貴様等を見放すこともあるので、そのあたりは……まあ適当にな」
多くの生徒たちを教え導く教育者 指導者としては あまりに いい加減な言い草だったが、聖衣たちは彼の口から真面目で厳かな言葉が出るのを待っていられなかったらしい。
それは聖衣自体が発する光なのか、あるいはアテナの小宇宙のかけらなのか――。
聖衣櫃の中から まばゆい光と共に登場した天馬座の聖衣、龍座の聖衣、白鳥座の聖衣が、それぞれ、星矢、紫龍、氷河の身体を包む。

そこまでは、ある意味 妥当な成り行き――ということができたかもしれない。
今回のトーナメントに女子の参加はなかったので、アンドロメダ座は次のトーナメント待ちなのだろうと、誰もが思っていたのだ。
だが。
天馬座の聖衣、龍座の聖衣、白鳥座の聖衣に続いて、4つ目の聖衣が――てっきり女子用の聖衣と思われていたアンドロメダ座の聖衣が――ピンク色の光を放ちながら一直線に 瞬の許に飛んでいくに及んで、闘技場内から、“妥当”“常識”という概念は消え失せた。
「ええっ !? 」

犠牲の姫君の聖衣が、紛れもなく男子である瞬の身を包む。
それがまた、おそらく このパライストラにいるどの女子がまとうより似合うので、闘技場は、見学席にいた160名超の生徒たち 及び 10数名の教師たちが作り出す怒涛のような大歓声で覆われることになったのである。
この成り行きには 氷河たちも あっけにとられていたが、その場で 最も驚き困惑していたのは、男子の身でアンドロメダ座の聖衣に選ばれてしまった瞬当人だったろう。
「あ……あの……え !? 」

闘技場内にいる者たちの中で いかなる驚きも覚えていなかったのは、おそらく学園長ただ一人。
彼は、こうなることを事前に聖衣たちに知らされていたかのように 全く動じた様子を見せず、ゆったりした声で 瞬に告げた。
「相当の強敵が出現しない限り、おまえは そのチェーンで戦えばいい。生身の拳よりは よほど優しく敵を倒すことができるだろう。アンドロメダ座の聖衣は、まさにおまえのためにあるような聖衣だ」
「でも、僕は一回戦で――」
一回戦で敗退したから聖衣を得る資格はない――。
そう思っているのは、その場で瞬だけだったろう。
瞬以外の人間は誰もが、アンドロメダ座の聖衣の意思と その決定に納得していた。
むしろ皆は、瞬以外の誰かが その聖衣をまとうことがあってはならないと思っていた――感じていた。

「しかし、本当に、世の中 これでいいのかと思うくらい、ピンクが似合っているな。聖衣がおまえを選ぶはずだ」
「え……あの……」
いったい学園長はアンドロメダ座の聖闘士を褒めているのか、それとも からかっているのか。
瞬は、少々悩みはしたのだが――そして、自分が聖闘士になることに戸惑いを覚えてもいたのだが――。
自分が正当な持ち主の身を包んでいることを、アンドロメダ座の聖衣が 喜んでいることがわかる。
その喜びが瞬自身の心身に強く伝わってくるのだ。
瞬は、聖衣に説得されて、自分がアンドロメダ座の聖闘士になるという事実を受け入れることになった――受け入れないわけにはいかなかったのである。






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