戦い済んで、日が暮れて。
パライストラは、夕暮れの色に包まれ始めていた。
校舎もアテナ像のある中庭も、オレンジ色と薄紫が微妙な割合で混じった薄暮独特の光の中にある。
3年振りに、しかも一挙に四人の聖闘士が誕生したことで興奮のるつぼと化し、一種のお祭り騒ぎになっていた学園は、静けさを誘う暮れ時の空気と光の中で、今は普段の表情に戻りつつあった。

近いうちに聖域から アテナ拝謁の許可がおりるだろうこと。
この学園の授業には 出席し続けたければ そうしてもいいが、それは義務ではなくなること。
学園の外に出ることも自由にできるようになり、アテナの聖闘士たる資格を得た者たちを縛るものは、今日以降 アテナへの忠誠心と地上の平和を願う心だけになること。
そういった諸々の連絡事項や訓示を受けた新米聖闘士たちが学園長室を辞して中庭に出た時、そこには既に昼間の喧騒も お祭り気分で浮かれていた他の生徒たちの姿もなかった。
この学園の生徒たちには、これまで通り、明日も授業があり、修行の日々が続くのだ。

以前いた施設を出てパライストラにやってくるだけでも、瞬にとっては人生の大転換だったのに、学園での生活にやっと慣れたと思えるようになった途端に、また境遇が大きく変わる。
めまぐるしく、あっという間に過ぎていった この1ヶ月が、だが、今の瞬には10年100年の長い時間だったように感じられていた。
そう感じずにはいられないほど、この短い時間に、瞬は多くのことを経験したのだ。
それらすべてのことに決着がつき、今は 瞬の心身は穏やかで静か。
しかし、明日からはまた、アテナの聖闘士としての慌ただしい日々が始まる。
新しい日々への希望と不安が、瞬に長い吐息を運んできた。
そんな瞬を、氷河が中庭の噴水の脇に引きとめる。

「瞬。おまえは以前、聖闘士になってマーマに会うという目的を果たしたら、そのあとどうするのかと、俺に訊いただろう」
「うん」
「俺は、そのあとは、おまえに力を貸す」
「え?」
「俺は、おまえの目的、理想、夢の実現に協力する。多分 それはアテナの意にも沿うことだろうし――幸い 俺も聖闘士になれたようだから、少しはおまえの力になることもできるだろう」
「氷河……」

『アテナの聖闘士たる資格を得た者たちを縛るものは、今日以降 アテナへの忠誠心と地上の平和を願う心だけになる』と学園長は言っていた。
自由を得た氷河たちは それぞれの目的を果たすために それぞれの場所に赴き、自分は この学園で知り合えた仲間たちとの別れを余儀なくされるのだ――。
そう考えて 希望だけでなく 寂しさにも囚われていた瞬は、氷河のその思いがけない言葉に驚き、驚くと同時に嬉しくて――あまりに嬉しくて、喜ぶより先に 瞳に涙がにじんできてしまったのである。

「あ……ありがとう……!」
涙を見られないよう、こころもち顔を伏せて、氷河に感謝の言葉を告げる。
知り合う前は 共にいなくても平気だった人が、いったい いつのまに、側にいないと寂しいと感じる人になっていたのか。
これからも氷河と共にいられるとのだという思いは、瞬の胸を大きく波立たせた。
そんな瞬に、星矢が明るい声を投げてくる。

「あ、瞬。んじゃ、俺も それに乗るぜ」
「せ……星矢も?」
「ああ。まあ、俺の場合は おまえみたいに崇高な志からってわけじゃないんだけどさ。戦争や理不尽な暴力のせいで不幸になる子供たちをなくすために頑張るなんてカッコいいことしてたら、俺、姉さんに会えた時、立派になったって褒めてもらえるかもしれないだろ」
「うん……うん、きっと」
「もちろん、俺も一枚 噛むぞ。これも友情というやつだ。なにしろ、おまえたちと一緒にいると、いろいろと面白いことに出会えて、一生 退屈せずに済みそうだからな。退屈せずに、その上、世のため人のためになることができるのなら一石二鳥。俺を育ててくれた人は、パライストラに行って生きる目的を見付けてこいと言っていたが、あれは 共に生きることを楽しいと思える仲間を見付けてこいという意味だったのだと、今 わかった」
「紫龍……」

自分は、この学園で出会った仲間たちと、これからも共に生きていくことができる――。
瞬の涙は もはや隠しようがなく、それは瞳から あふれ出た。
非力な弟を守ってくれる兄。
非力ながらも守ってやりたいと思っていた子供たち。
これまでの瞬には、同じ場所で同じ道を歩んでくれる仲間というものがいなかった。
だが、自分は ついに、そんな仲間たちに巡り会うことができたのだ――。
瞬の涙は、もちろん喜びの涙だった。
できれば星矢と紫龍には退場願いたいと考えていた氷河の不満顔に、その涙のせいで気付くことがなかったのは、瞬には幸いなことだったろう。






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