まずは、このクラスで情報収集。
そう考えた俺は、しかめていた顔を上げ、改めて 2年Aクラスの教室内を見まわしてみたんだが。
その段になって初めて、俺は気付いたんだ。
クラスの奴等のほとんどが、遠巻きにして 俺を ちらちらと盗み見ていることに。
その様子は、転校生の側に近付くのを ためらっているというより、俺の隻眼にびびっているように見えた。
俺の左目の傷は、氷河と俺が まだほんのガキだった頃、海底深くに眠っているマーマのところに行こうとして海流に呑まれた氷河を助けようとして負った傷だ。
随分と昔のことで、俺はもう気にしていないんだが、氷河は今でも そのことで俺に負い目を感じているようだった。

氷河をシベリアに連れ戻しにきた俺に、奴が『帰らない』と言いはしても、俺に『帰れ』と言わないのは――言えないのは――多分 その負い目のせいだ。
氷河は、いざとなると 俺に対して強く出ることができないんだ。
俺から片目を奪った負い目があるから。
俺は何度も『いい加減に忘れろ』と言ったんだがな。
こればかりは俺にもどうすることもできない。
それは、氷河の中の問題で――氷河自身がどうにかしないことには決着がつかないことなんだ。
まあ、それはいい。
今はとにかく、氷河の女に関する情報収集だ。

俺は、とりあえず俺を遠巻きに見ている生徒の中で いちばん近くにいる生徒に、
「おい。そこのおまえ。氷河が付き合っている生徒が どこの誰なのか知ってるか」
と訊いてみた。
その生徒が、
「知らないわけじゃないけど……。アイザックくんって、氷河くんの知り合いなのか?」
俺の質問には答えず、反問で答えてくる。
おお、俺の日本語が通じるぞ。
氷河は なぜか母親から日本語を習っていて(氷河の父親が日本人かもしれないという話が出た今となっては『なぜか』も何もないんだが)、それを俺も教えてもらっていたんだ。
実際に日本人相手に日本語を使うのは これが初めてなんだが、存外に通じるもんなんだな。

クラスの奴等は、どうやら俺の隻眼を恐がっていたんじゃなく、俺が氷河とロシア語で話していたから 俺に近寄れずにいただけで、実は季節外れの転校生に興味津々でいたらしい。
俺が日本語を解するとわかると、俺のクラスメイトたちは その目を輝かせて俺の周りに群がってきた。
謎の転校生への興味を満たすためというより、氷河への不満を俺にぶちまけるために。

「氷河くんが付き合っているのは、1年Aクラスの瞬ちゃんだよ。よりにもよって 瞬ちゃん」
「瞬ちゃん?」
なんだ、それは。
“瞬ちゃん”?
俺にそう言ってきたのは、デブの――いや、少々ふくよかにすぎるゴマフアザラシの子供を連想させる一人の男子生徒だった。
ゴマフアザラシの子供は、どう見ても、その事実を歓迎していないように見えた。

「瞬ちゃんは、1年下の、この学園のアイドルみたいなものなんだ。ウチのガッコ、中高一貫教育を謳ってるけど、中学の校舎と高校の校舎が結構 離れてて、自由に行き来できるわけじゃないんだよ。瞬ちゃんが高等部に進級してて、校舎が一緒になって、毎日 瞬ちゃんを見ていられるようになるって喜んでたのにさ」
「そうそう。それを あの留学生が――氷河くんが、横から かっさらっていっちまったんだ」
「俺たちは みんな、瞬ちゃんを好きで、だけど 瞬ちゃんは高嶺の花みたいなもんだから 気後れして、何となく近寄れずにいたんだ。みんな、憧れて遠くから見てるだけだった。なのに、氷河くんはさ――」
「みんなが瞬ちゃんを好きなこと知ってるから、独占することなんて考えもしなかったんだよな」
「私だって、瞬ちゃんが高等部に進級してきてれるのを心待ちにしていたのよ。中等部の校舎まで わざわざ遠征していかなくても、気軽に目の保養ができるようになるって」
「なのに、氷河くん、ひどいよねー」
「あの瞬ちゃんを独り占めするなんて、奥ゆかしい日本人には思いつかないことよ!」

高嶺の花?
男共ばかりじゃなく、女子までが“瞬ちゃん”呼ばわり?
その瞬ちゃんとやらは、とんでもないベビーフェイスなのか?
まあ、それはともかく、俺のクラスメイトたちは、氷河がしでかしたことに大いに不満と怒りを覚えていたらしい。
それが豪雨が地上を叩くみたいに とんでもない勢いで、俺の上に降ってくる。
氷河のせいで とばっちりを食うのは、俺の運命なのか。
冗談じゃないぞ、ったく。
おかげで、“瞬ちゃん”に関する情報は たっぷり仕入れることができたが。

瞬ちゃんは、1年Aクラス所属。
学園一 可愛くて、薄桃色の花のように可憐。
誰にでも優しくて、親切で、瞬チャンを嫌っている奴なんていない。
いたとしたら、そいつは よほどの 捻くれ者だから、生きて存在する価値はない。
etc.etc.

そんなふうに、俺は、クラスの奴等からは 瞬ちゃんへの褒め言葉しか仕入れることができなかった。
だが、俺が知りたいのは、瞬ちゃんの欠点だ。
氷河を幻滅させるための材料になるような。
欲しいものをクラスの奴等から手に入れることができないなら、それがあるところに行って掘り出すしかないだろう。
迅速な行動をモットーにしている俺は、転校早々 1時限目の授業をさぼって、瞬ちゃんとやらのいる1年Aクラスの教室に向かうことにした。






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