欠点のない人間なんているはずがない。
それが まだ10代の高校生なら、なおさら。
毎日 顔を合わせているクラスメイトなら、俺の欲しいものを持っているに違いない。
持っていない方がおかしい。
そう決めつけて向かった1年Aクラスの教室。
俺は そこで、あまり勉学に熱心でない不真面目な生徒を2、3人 教室の外に引っ張り出して聞き込み調査をするつもりでいたんだが――。
日本の高校生って奴は、勉強好きな奴しかいないのか?
教室の後ろのドアの嵌めガラスから覗いた1年Aクラスの生徒たちは 全員ちゃんと席に着いて、教壇の上に立つ人物を見詰めていた。
それこそ、脇見や無駄話をしている生徒は一人もいない。
俺は、カミュ並みに厳しい鬼教師でもいるのかと思ったんだが、教壇の上に立っているのは一人の小柄な生徒だった。

「今日は タナカ先生は家庭の事情でお休みだそうです。今日の物理の時間は自習になります。先週 実験した、静電誘導と誘電分極のレポートをまとめて、明日の朝までに提出するようにとのことでした。この時間は、教室でレポートのまとめをしてください。実験が足りない人は物理室で もう一度実験をしてもいいということでした。レポートは、明日の朝いちばんで 僕が集めますから、忘れたり さぼったりしないでくださいね」
教壇に立つ一人の小柄な生徒。
どれが 噂の瞬ちゃんなんだと 人に訊くまでもなく、自習の指示を出している その生徒が瞬ちゃんなのだと、俺には すぐにわかった。
瞬ちゃんは、本当に薄桃色の花だった。
際だって可愛い。

どう言えばいいんだ。
瞬ちゃんは、周囲の空気からして、他の生徒とは まるで違っていた。
顔立ちが可愛いのはもちろん、姿勢がよく、身体の均整がとれていて、その印象は清純そのもの、一つ一つの所作も無駄がなく きびきびしている。
勉強なんて嫌いなはずの(と決めつけるのも何だが)10代の高校生の視線を 自分に引きつけ、逸らさせず、大人しくさせているだけでも 十分“普通じゃない”。
これくらいでないと、氷河の心を惹きつけることはできないだろうし、これくらいなら氷河の心を惹きつけることもできるだろう。
俺は そう思った。

瞬ちゃんは この学校の制服らしきものを着ていた。
クラスの奴等は ほとんどが私服なんだが(それも かなりカジュアルな)、瞬ちゃんだけは かっちりした制服着用。
グレイのブレザーにグレイのパンツ。
制服はあるが着用は義務ではないと説明を受けていた俺は、そんなものの入手なんか考えもしなかったから、この学校の制服がどんなものなのか知りもしなかったんだが、瞬ちゃんが身に着けているブレザーの胸ポケットに刺繍されているエンブレムが この学校の校章だったから、多分 それがこの学校の制服なんだろう。

「実験が必要な人は、どれくらいいますか? 危険なことをしないように、僕が立ち会うように言われてるんですけど」
教師がいなくて自習とは、好都合。
これも俺の日頃の行ないがいいせいだろう。
瞬ちゃんの説明を聞くと、クラスの生徒の半分くらいが席を立ち、瞬ちゃんの引率で 物理室への移動を始めた。
俺は その列の最後尾にいた奴を捕まえて、
「おい、そこの。あれが瞬チャンとやらか」
と尋ねてみたんだ。

「え?」
俺に捕まった生徒が、なぜ自分が俺に捕まったのか、なぜ自分が見知らぬ生徒に瞬ちゃんのことを訊かれるのか わかっていない顔を、俺に向けてくる。
「訊かれたことに答えろ。あれが氷河と付き合っているという瞬チャンか」
「あのー、そうだけど、あのー」
「どんな奴だ」
「え」
「だから、瞬チャンとやらは どんな奴だと訊いているんだ!」
俺に捕まった生徒は、『なぜ そんなことを訊いてくるんだ』とか『そもそも あんた誰』とか言いたそうな顔をしていた。
成獣のセイウチを一撃でぶっ倒す俺の迫力に 恐れをなして、言いたいことも言えなかったようだがな。

「しゅ……瞬ちゃんは、可愛くて、誰にでも優しくて親切で――」
俺に びびった生徒が、2年Aクラスの奴等が言っていた内容と大差ないことを芸もなく繰り返し始める。
俺は うんざりして、そいつの顔を睨みつけた。
「俺が知りたいのは 瞬チャンとやらの欠点だ、欠点」
「瞬ちゃんの欠点と言われても……。可愛すぎるとか、優しすぎるとか?」
「そんなのは欠点とは言わん」
「そう言われても……瞬ちゃんは、欠点がないのが欠点なんだよ。しいていうなら、2年に転校してきたガイジンと付き合い出したことが欠点といえば欠点かなあ。でも、それだって、瞬ちゃんをガイジンにとられた俺たちが日本男児の一人として不甲斐なかっただけで、瞬ちゃんが悪いわけじゃないだろうし……くそう」
「……」

同学年、同じクラスの奴等まで『瞬ちゃん』呼ばわりか
アイドルというより、ペットだなペット。
それはまあ いいとして(よくもないが)、その生徒から 俺の欲しい情報を聞き出すのは無理そうだった。
こいつは、特に瞬ちゃんと親しいわけでもないんだろう。
俺は聞き込み相手を変えることにした。
「このクラスで、その瞬チャンと いちばん親しい奴はどいつだ?」
「それは星矢くんだよ。瞬ちゃんとは幼馴染みなんだ」
物理室に向かった瞬ちゃんの後を早く追いたかったのか、最後尾野郎が 俺にあっさり個人情報を漏洩してくる。

そいつが指差したのは、教室に残っていた一人のガキだった。
いちばん前の席に座っていたから、多分チビ。
最後尾野郎を速やかに解放した俺は、レポート用紙の代わりにマンガ雑誌を机の上に広げている そのチビの側に ずかずかと歩み寄っていった。
自習中で、生徒の半分が物理室に移動しているとはいえ、今は紛う方なき授業時間内。
見知らぬ外人の登場に、1年Aクラスの生徒たちは揃って困惑の目を俺に向けてきたが、もちろん俺は そいつらを完全無視した。
無視して、瞬ちゃんの幼馴染みとやらに、頭の上から声をかける。

「おい。貴様、瞬チャンとやらの幼馴染みだそうだが、氷河を知っているか」
「氷河? 知ってるも何も、転校してくるなり 瞬を かっさらっていった、ど阿呆のガイジンだろ。あんた、誰だよ」
ほう。
氷河が ど阿呆だということはわかっているのか。
なかなか いい面構えをした星矢という その生徒は、突然出現した隻眼のガイジンに驚いた様子もなく、俺に反問してきた。
無論、俺は無視したがな。
俺は自己紹介をするために こんなところまで出張してきたわけじゃないんだ。

「どうして、その二人は付き合うことになったんだ」
「だから、あんた、誰だよ。日本人じゃないな。人にものを尋ねる時は、まず自分の名を名乗るのが礼儀だろ」
チビのくせに威勢がいい。
俺が何者なのかを白状しないなら いかなる情報も提供しないつもりでいるように見えるチビの根性に敬意を表して、俺はチビの要求に応じることにした。
俺は面倒だから名を名乗らなかっただけで、別に匿名希望なわけじゃない。
勿体ぶって隠すほどの名でもないし、こんなことで意地を張って、目的のものを入手できないなんて愚を犯すつもりもないからな。

「俺は氷河の修行仲間――いや、幼馴染みだ。名はアイザック」
「へえ。氷河の幼馴染み? ちょうどいいや。俺も瞬の幼馴染みとして、言いたいことや訊きたいことが腐るほどあるしな」
「言いたいこと?」
言いたいことが腐るほどあるとは有難い。
俺は ぜひとも それを拝聴したい。
渡りに船とばかりに、俺は、星矢の机の脇に 隣りの机の椅子を引っ張ってきて、『言いたいことがあるなら、いくらでも聞いてやる』のポーズを取った。
星矢は、よほど言いたいことが溜まっていたらしく、読んでいたマンガ雑誌を脇に押しやって、それこそ立て板に水で、俺に向かって吠えたて始めた。

「あの氷河って奴さ、滅茶苦茶 胡散臭いんだよ。あいつ、ここに転校してきて初めて瞬に会って、瞬に一目惚れしたって言ってるけど、絶対 それ嘘だよな。あいつは、このガッコに来る前に どっかで瞬を見掛けて 岡惚れて、そのあとで このガッコに転校してきたんだよ。瞬を手に入れるために。でなきゃ、転校初日に瞬に交際申し込むなんてことできるはずねーもん。そりゃあ、瞬は可愛いし、誰にでも親切だし、一目惚れが あり得ねーとは、俺も言わねーけどさ」
「転校初日に交際申し込み? 氷河の奴、そんなことをしたのか?」
「ああ。そんなこと しやがったんだよ。ったく、図々しいったらねーぜ」
「確かに図々しい。だが、瞬チャンはなぜ、そんな不躾な氷河の申し出を受けたんだ。聞いた限りでは、瞬チャンは可愛くて 親切で 欠点らしい欠点もない生徒のようだ。それに比べて、氷河は――こう言っては何だが、あれの取りえは顔くらいのもんだろう」
「へー。あんた、幼馴染みのわりに、氷河の肩持たないんだな。正直っていうか、率直っていうか、現実が見えてるっていうか。悪いことじゃねーけどさ。いや、いいことだけどさ」

星矢は、俺の正直で率直な発言が気に入ったらしい。
氷河への文句や鬱憤を、氷河の代わりに 奴の幼馴染みにぶつけてやろうとしているようだった態度を改めて、その声から険しさを消し去った。
そして、俺の前で盛大な溜め息を一つ つく。
「瞬ってさ、あの通り 可愛くて、誰にでも親切で、だから みんなに好かれてるだろ? みんなが瞬を好きなんだけど、これまで誰も瞬に 好きだって告白したことなんかなかったんだよ。瞬はみんなのアイドルっていうか、マスコットっていうか、こういう言い方はあれだけど、みんなの共有物だったんだ。瞬に、好きだって告白したのって、多分氷河が最初なんだよな。瞬は高嶺の花みたいなもんで、誰も瞬を独占しようなんて考えなかった。けど、氷河は そういう奥ゆかしい日本人とは違って、みんなの瞬を自分だけのものにしようとした。そのための行動を起こした。瞬は 人に そんなこと言われたのが初めてで、滅茶苦茶 驚いて、戸惑ったんだと思う。氷河は氷河で、瞬に拒まれたら俺の人生は破滅だとか何とか言って、なりふり構わず 瞬に泣きつきやがってさ。瞬は大人しいし、人に冷たくできない性分だから、嫌だって言えなかったんだよ」

瞬に拒まれたら人生が破滅?
氷河の奴、本当に そんなことを言ったのか?
いったい、どのツラ下げて?
俺は、『まさか そんなことが』と思いはしたんだが――その一方で、氷河なら それくらいのことは真面目に本気でやりかねないとも思った。
だから俺は、
「迷惑をかけて、すまん」
と、星矢に謝罪したんだ。
氷河の兄貴分として、そうせずにはいられなかったから。

「瞬が人のいいのに つけ込んで、ほんと図々しい奴だとは思うけど、それって あんたが謝るようなことじゃないだろ。あんたが あいつをあんなふうに育てたわけじゃないんだし。あの氷河の幼馴染みだなんて、俺、あんたに同情するぜ?」
瞬ちゃんの幼馴染みは、自習時間にマンガを読んでいるような不真面目な生徒だが、理がわかり、情のある男らしい。
そう。
氷河が幼馴染みなばっかりに、あの周囲を顧みない奴の性格に、これまで俺がどれほど苦労してきたか。
それを察し、氷河の幼馴染みに同情してくれる瞬の幼馴染みに、俺は好意を抱いた。

「ほんと、オトコの敵、日本人の敵だよな、氷河は。瞬の兄貴も、氷河の図々しさには かんかんで、事あるごとに文句言って、チャンスがあれば奴を殴り殺してやるって言ってるぜ。でも、瞬が庇うから、さすがの一輝も氷河をボコれずにいるんだ」
ふーん。
瞬ちゃんには兄貴がいるのか。
しかし、その一輝とやらも無謀だな。
氷河は、俺同様、成獣のセイウチやシロクマを素手の一撃で倒せる男だ。
文明国で なまぬるい生活を送ってるような奴に殴り殺せる男じゃない。
まして、あの細っこい瞬ちゃんの兄貴には、氷河をボコるのは到底無理。
返り討ちに会うのが目に見えている。
あの瞬ちゃんの兄貴なら、それこそ制服をきっちり着込んだ優等生なんだろうしな。無理だ無理。

「そういえば、瞬チャンは なぜあんな服を着てるんだ? この学校は、制服はあるにはあるが、着用は義務じゃないと聞いていたぞ」
およそ どうでもいいことだが、瞬ちゃんの人となりを知るヒントになるかと思って、俺は星矢に訊いてみた。
星矢は、俺の質問を不自然なこととは思わなかったらしく、
「そうだよな。瞬なら、もっと可愛い服の方が似合うよな」
と言って、こくこく頷いてきた。
そう言う星矢の恰好は、冬だというのに 半袖のTシャツにデニム。
こういう恰好も随分だと思うぞ。
あの身なりを気にしない氷河でさえ、長袖の白いワイシャツを着ていて、文明の浸透力 恐るべしと、俺を震撼させたのに。

「瞬なら、それこそフリル付きのピンクのブラウスでも似合うだろうけどさ、瞬の兄貴ってのが、何かっていうと、男らしい弟が欲しかったって言う奴でさ。瞬は少しでも兄貴の期待に応えようと、いつも きっちり制服を着込んでるんだ。健気だろ」
男らしい弟が欲しかった?
瞬ちゃんの兄貴というのも、かなり変わった男だな。
男が自分の 兄弟姉妹を望むなら、普通は“可愛い妹”が第一希望だろう。
それに、男らしい弟が欲しい兄貴の希望に応えようとする その態度は、確かに健気だが、瞬ちゃんの対応は完全に間違っている。
バターを四角い鉄の容器と 丸みを帯びた木製の容器に入れた時、後者より前者の方が、よりバターのやわらかさが感じ取れるように、あんなに かっちりした硬い服を着ていたら、逆に あの子の可愛らしさが際立つだけだ。

氷河の押しに あっさり負け、兄の言うことには従順。
瞬ちゃんは、自分の確固たる意思を持っていない子なのか。
制服のことからしても、あまり頭もよくなさそうだな。
それは 立派な欠点だ。
瞬の幼馴染みとの やりとりで、俺は初めて収穫らしい収穫を得ることができた――らしい。
俺は大いに満足して――いや、さすがにそれは言いすぎか――多少満足して、その欠点を氷河にぶつけてみるべく、2年の教室に戻ることにしたんだ。
――その時。






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