恋する氷河の常軌を逸した攻撃で半死半生状態になった俺の怪我の手当てをしてくれたのは瞬だった。 俺は、瞬をヘンタイとまで言って罵ったのに――。 俺への攻撃をやめない氷河を、俺から引き剥がしてくれたのは一輝と瞬の幼馴染みたち。 奴等は、俺から氷河を引き剥がすのに全力を使い切り、精も根も尽き果てたとかで、氷河をなだめがてら、化学室で 温めた缶汁粉を食っているとか。 汁粉というのが何なのかは知らないが。 「2、3本の肋骨にヒビが入っているみたいですけど、これは少しすれば痛みは薄らぐと思います。でも、裂傷や擦過傷は気をつけないと。破傷風になったりしたら大変ですよ」 きまりが悪くて 保健室のベッドから逃げ出そうとした俺に、瞬は そう言って、創傷の消毒やら打撲箇所への冷湿布やらを、男のものとも思えないほど白く細い指と手で 手際よく処理してくれた。 「俺は君にひどいことを言ったのに……」 素直に『ごめんなさい』と言えばいいのに、俺はなぜ その一言が言えないんだ。 「氷河のためを思ってのことだったんでしょう」 瞬は今は慈愛の聖母そのもので――ただただ優しい目をして、俺を見詰めていた。 だが、違う。 俺は氷河のためを思って、あんなことをしたんじゃない。 俺は、俺の恋はどうなるんだと混乱して苛立って、そして、自分の心が傷付かないように、瞬を責め なじるという卑怯な攻撃に出たんだ。 それで返り討ちに会って、このざま。 みっともないこと、この上ない話だ。 「僕が間違っているんです。わかってます。でも、僕は氷河が好きなの」 「どこがいいんだ、あんなのの」 それが 本当に わからん。 氷河は、マザコンで、図々しくて、デリカシーがなく、遠慮を知らず、猪突猛進・直情径行、木を見て森を見ず、その上、注意力散漫。悪い奴じゃないが、大馬鹿野郎で――。 こういう仕儀に相成った今となっては、氷河より俺の方が馬鹿だってことは、認めざるを得ない事実だがな。 そして、俺より氷河の方が ずっと瞬を好きでいることも。 瞬は綺麗で、強くて、優しい。 だから、氷河は瞬を好きになった。 だが、俺は――俺は、ただそれだけのことができなかったんだ。 「氷河は、一途で、いつも一生懸命で――。今日はちょっと やりすぎてしまったけど。あとで叱っておきますね」 ああそうか。 瞬は、美点しか見ないんだったな。 瞬は――俺に対してもそうなんだろうか。 詰まらないプライドや体裁を捨てて『ごめんなさい』と言ったら、瞬は俺を許してくれるんだろうか。 ――許してくれるんだろうな、多分。 俺の誹謗にどれだけ傷付いても、それは 氷河のために為されたことだから。 そう信じているから、瞬は俺を許してくれるんだ。 「アイザックさんは、氷河のためを思って、言ってくれたんです。アイザックさんには どんな非もありません。でも、どうか、氷河と僕のことは――許してとまでは言いません。見逃してください」 綺麗な目――男とか女とか、そんなことは関係なく綺麗な目。 瞬は悪くない。 瞬に罪はない。 悪いのは、綺麗で強くて優しい瞬を好きになり、綺麗で強くて優しい瞬を好きになり切れなかった、この俺なんだ。 瞬は、綺麗で強くて優しくて――だが、完璧じゃなかった。 氷河にボロボロにされる前の俺にとっては。 だが、完璧なんだ。 氷河にとっては。 そして、瞬の重大な欠点を 欠点と思えなくなった、今の俺にも。 人の評価なんて、そんなものだ。 人の美点や欠点なんて、そんなもの。 好意や愛情をもって見るか 見ないかで、それは全く違ってくる。 瞬が 人の美点しか見ないのは、そういうことなんだ。 おそらく、瞬は、自分にあんなことを言った俺に対しても、これからも、美点を見ようとしてくれるだろう。 氷河に勝てる気はしない。 瞬の心が変わるとも思えない。 だが、人の心は決して不変ではないからな。 氷河に半死半生にされて、憑き物が落ちたように、さっぱりしてしまった今の俺みたいに。 希望は ないわけではないだろう。 この恋の決着がつくまで、しばらくシベリアには帰れないと、俺は その夜、カミュに手紙を書いた。 Fin.
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