青い瞳の…〜(恐怖の)納豆の日編〜







「え? 納豆?」

織姫と彦星が年に一度の逢瀬を楽しむ七夕も過ぎたある日の朝。
毎日“年に一度”を満喫しまくっている瞬は、突然紫龍の口から飛び出てきたその単語を訝って首をかしげた。

「そうだ。なんでも、昨日、今年の中元に茨城のグラード食品工業から極上の黒豆納豆が大量に送られてきたんだそうだ。で、今夜のディナーは納豆づくしらしい」


瞬は、別に納豆が好きでも嫌いでもない。
故に、今夜のディナーが納豆づくしだろうと豆腐懐石だろうと、感情的には何の動揺もなかった。


だが、瞬には、それで解けた謎が一つあったのである。

「……もしかして、だから兄さん、突然また放浪の旅に出ていったのかな」

今朝方起床して、いつものように氷河を従えてダイニングにやってきた瞬は、兄が昨夜のうちに城戸邸を出ていったことを警備のおにーさんに知らされて、ひどくがっかりしていたのだ。

氷河に慰めてもらったとしても、こればかりは、そう簡単に浮上できるようなことではない。


だが……。


一輝は、実は、極端な納豆嫌いなのである。
彼の納豆への憎悪は、デスクイーン島での彼の師匠に対する憎悪の、軽く百倍を超えていた。
あの納豆嫌いの兄が、昨日城戸邸に届けられたという納豆の匂いを嗅ぎつけ、その匂いから逃れるために仲間と弟の許から去っていった――というのなら、瞬としても、『それでも僕の側にいてほしかったのに』と我儘を言うことはできそうになかった。
それほどに、一輝の納豆嫌いにはすさまじいものがあったのである。


「意外だな。あの一輝が納豆嫌いというのは」
「うん。なんか、以前は平気だったような気がするんだけど……」

瞬は、兄があれほどまでに納豆を憎む理由に全く心当たりがなかった。
城戸邸に寄宿している瞬以外の青銅聖闘士たちが全員知っている、その理由に。



原因は瞬なのである。

子供の頃、瞬が作って、仲間たちにふるまった納豆入りプリン。
それが、城戸邸の聖闘士たち全員を納豆嫌いにした元凶だった。

瞬以外に恐いものなしの一輝が、恨み骨髄の氷河いじめを中断して逃げるくらいなのだから、その破壊的威力の程も知れようというものである。


「そう言えば、おまえ、ガキの頃、納豆入りのプリンを作ったことがあったな」
さりげなく水を向けると、瞬は悪びれた様子もなく笑顔を作った。

「うん、そういえばそんなことあったね。僕たち、子供の頃って、甘いもの食べさせてもらえなかったじゃない。そんなもの食べてるくらいなら、プロテイン飲料でも飲め……なんてひどいこと言われて。だから、僕、みんなに、普通の家の子みたいに、おやつの時間に甘いものを食べさせてあげたくて……。……ううん、あれはきっと、僕が普通の家の子供をしてみたかったんだろうね……」


幼い頃の他愛ない思い出を懐かしむ今の瞬には、既に自分の過去の境遇を不運だったと思う気持ちすらないようだった。その微笑に、翳りは全く潜んでいない。

「ほんとは僕、甘納豆を入れたかったんだよ。でも、甘納豆がなかったから、代わりに大粒納豆を使ってみたんだ。美味しかったでしょ? あの時、氷河なんて、僕の分も食べちゃったんだよね」

「……」

にっこり笑って言う瞬に、紫龍はひくりと口許を引きつらせた。


おそらく、氷河は、あの頃から瞬を憎からず思っていたに違いない。
ろくにおやつも食べさせてもらえない仲間たちのために、まだ小さかった瞬が必死になって作ったプリンのあまりの不味さに瞬が傷付くことのないように、彼は死ぬ思いで瞬の分の納豆プリンをも食べきったのだろう。

あのプリンの不味さは、紫龍とて、この数年間、一瞬たりとも忘れたことはなかった。

思いやりで縁取られた瞬の笑顔に誰一人――バカ正直で売っている星矢でさえ――『不味い』と言うことができなかった、それは苦く不味く甘く切ない思い出なのである。






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