その夜。

ダイニングテーブルに並べられた“本日のディナー”を見て顔を引きつらせたのは、氷河だけではなかった。


納豆ハンバーグ。

納豆コロッケ。

納豆茶漬け。

納豆スパゲティ。

納豆ドリア。

マーボー納豆。

納豆カレー。

納豆の吸い物。

納豆トースト。

納豆キムチ。

納豆ピザ。

納豆ピロシキ。

そして、納豆ミルフィーユに納豆モンブラン。


今朝方瞬に見せた“本日のメニュー”に更に加えられた納豆メニューの数々に、“糸引き納豆ねちゃねちゃ計画”を企てた当の本人であるところの紫龍こそが顔面蒼白になってしまったのである。

城戸邸の厨房のシェフ・料理人・パティシエたちは、それぞれ三ツ星レストラン・一流料亭・有名洋菓子店で腕をふるっていた者たちである。腕も確かなら、プライドも高い。自分の作品への自信も生半可なものではないだろう。
彼等が、いったん決めたメニューを変えるのは、瞬に頼み込まれた時くらいのものである。


しかし、それにしても。

このメニューは、はっきり言って、そこいらの惣菜屋でも扱わない、むしろキワモノ料理に分類される類の物なのではないだろうか。


おそらく、瞬は、厨房の料理人たちに、
『とにかく納豆。何が何でも納豆。納豆で思いつく限りの料理を作って!』
とでも、頼み込んだに違いない。


紫龍は、はっきり言って、呆れてしまったのである。
悪意に満ちた自分の計画より、(おそらくは)氷河への厚意(?)のみによって為された瞬の行動の方が、より壮大・より強力な成果をあげているという驚嘆すべき事実に。
いずれにしても、それは、彼の計画の手助けになるものではあったので、紫龍はこの事態を喜びこそすれ、嘆いたりなどはしなかったが。

(しかし、なんだな。自分の身体を壊されても構わないと思うくらい楽しいのか、あんなことが)

この点、紫龍の認識は甘い。

当然、楽しいのである。“あんなこと”は。
好きな相手に殺される――これ以上のエクスタシーがこの世に存在するはずがないではないか。

しかし、この場合、殺されかかっているのは瞬ではなく、氷河の方だった。

瞬の善意によって壮大さを増した紫龍の“糸引き納豆ねちゃねちゃ計画”は、滅多なことでは表情らしい表情を作らない絶対零度男の顔を、見事に引きつらせていた。


傍目には瞬に勝るとも劣らないほど大いなる善意をその瞳にたたえ、紫龍が氷河に微笑みかける。
「いや、実に見事な納豆づくしだ。良かったな、氷河。おまえの身体を気遣う瞬の優しさに、厨房の連中も心を動かされたに違いない。なにしろ、納豆は精力がつくそうだし」

「そ…それは……。それは、だって、氷河は納豆が好きで、今日は納豆の日で、納豆は身体にいいって聞いたから……」
慌てて弁解を試みる瞬の頬は、しかし、はっきり見てとれるほど赤く染まっている。

そして、それとは対照的に蒼ざめた氷河の頬――。

しかし、氷河はもちろん、即座に瞬のために死ぬ決意をした。

「納豆は……大好物だ。ありがとう、瞬」

心の動揺を瞬に気付かれないよう平静を装ってはいたが、氷河の様子を注視していた紫龍には、彼の全身が硬直しているのが容易に見てとれた。

内心の北叟笑みを押し隠しつつ、紫龍がおもむろに頷く。

「まあ、万一おまえが納豆を死ぬほど嫌いだったとしても、瞬の心尽くしを無下にできるはずがない。瞬を好きなら食えるはずだ」

「……む…無論」

氷河の動揺が並大抵でないのは、彼が、普段なら聞きもしない紫龍の言葉を聞き、返答までしていることで明白である。
彼は、両の拳を握りしめ、意を決してテーブルについた。


その悲壮な決意は、今は納豆が平気になった星矢にすら同情の念を呼び起こすほどのものだった。




と、その時。






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