「違うっっ!!!!」 悲壮・凄惨・過酷な空気に覆われていたダイニングルームに、瞬の叫び声が響き渡った。 星矢と紫龍が驚いて顔をあげ、最後に氷河が瞬に視線を向ける。 その視線の先で、瞬は眉根を寄せ、唇を噛みしめ――要するに、今にも泣き出しそうな顔で怒っていた。 「瞬……?」 紫龍の声を無視して、瞬が氷河に向かって叫ぶ。 「氷河、そんなに納豆が嫌いなら食べなくていい!」 「…………」 納豆を食べて元気になった氷河とのお楽しみに期待して周囲が見えなくなっているはず――と紫龍が思い込んでいた瞬は、しかし、そこまで馬鹿になってもいなかった。 ちょっと注意して見ていればわかる氷河の不自然な動作や表情を、瞬が見逃すはずがないのだ。 少なくとも、氷河が納豆づくしのディナーに緊張していることは、瞬にはすぐにわかったらしかった。 氷河にちゃんと確かめもせず納豆づくしディナーを用意した自分の愚かさに立腹してなのか、それとも、嫌いなのに『大好物だ』と嘘をついた氷河に憤っているのか、あるいは悲しんでいるのか、瞬の頬は怒りに燃え、その瞳には悔し涙がにじんでいた。 その瞬の前で、氷河がふいに箸を取る。 そして、彼は、恐怖の納豆づくしをもくもくと食べ始めた。 「氷河、食べなくていいってばっ!!」 瞬は再度叫んだが、氷河はその声を無視した。 「あ…あのー……。なあ、瞬。何が違うんだ…?」 「おい、氷河。無理して食うことはないんだぞ。おまえの納豆嫌いは、もう瞬にバレたようだし」 星矢と紫龍が、それぞれ瞬と氷河に声をかける。 瞬は唇を引き結んで何も答えなかったが、氷河が――珍奇な現象ではあるが、瞬ではなく氷河の方が――困惑する二人の仲間に事態を説明してくれた。 「……瞬は、こんなふうに俺を試したりしない」 「なに?」 「だから、食うんだ」 そう言って、氷河は、ずらり並んだ納豆メニューの中でも最悪最凶の納豆キムチに箸を伸ばした。完全に自殺行為である。 「…………」 既に瞬にすべてがバレているというのに、それでもこの人生への挑戦を続ける氷河の心情が、紫龍には測りかねた。 確かに、瞬は氷河の愛(?)を試すために、こんなメニューを用意したわけではない。それは紫龍も知ってはいたのだが。 「もし、試しているんだったら」 「瞬はそんなことはしない」 「だから、例え話だ。もし試しているのだったら」 「……食うか。こんな腐った豆」 「…………」 やはり、氷河は納豆は嫌いなようである。 一瞬、紫龍の胸中に浮かんだ、『氷河は実は本当は納豆が好物なのか?』という疑念は、すぐに氷河によって否定された。 では、何故、氷河は、しなくてもいい自殺行為を続けるのか。 氷河の納豆嫌いが確認できたために、浮上してくる新たな疑問。 その疑問への答えは、氷河自身が与えてくれた。 無論、それは紫龍のためにではなく、瞬のための“答え”だったろうが。 「食う以前に、こんなもので俺を試す瞬なら、俺は瞬に惚れたりなどしない」 「…………」 「瞬は試す時には試すと言うんだ。嘘をつく時には、嘘をつくと宣言してから嘘をつく。瞬は……」 「ずるいほど正直なわけだ」 「……」 それには、氷河は何も答えなかった。 紫龍の解釈は、“当たり”だったのだろう。 もっとも、氷河が紫龍に否定の意も肯定の意も示さなかったのは、もしかしたら、口の中の納豆に苦しんでいたせいだったのかもしれないが。 紫龍には、おぼろげにではあったが、氷河の言うことがわかるような気がした。 瞬は、多分、正直すぎてずるいのだ。 瞬は、基本的に善良ではあるが、嘘をつけないほどの馬鹿でもない。 言わなくていいことまで考え無しに口にして、他人を傷つけるほど愚かな人間でもないのだ。 無論、嘘言や罪は、他人に告白したからといって消えるものではない。 しかし、口にすることで、楽にはなれる。 良心の呵責は薄らぐ。 そうすれば、瞬は、瞬の瞬らしい優しさも聡明さも失わずに済むのだ。 氷河は、瞬にそんなふうでいてほしいのだろう。 そんな瞬でいてもらうためになら、彼は何でもするのだ。 そうすることが氷河の望みで、氷河の望みが叶うことは氷河自身の幸福なのだから。 |