「テディベアの日なんだ。グッドベア・デー」

(なに !? )
それは、氷河の認識している『今日』ではなかった。何か嫌な予感を覚えた氷河は、急いで紫龍の口を封じようとしたが、時既に遅し。
瞬は、紫龍の話に乗ってしまっていた。

「へえ、可愛い。テディベアが初めて売りに出された日か何かなの?」
「いや。今日は、テディベアの名前の由来になった、26代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの誕生日なんだ」
テディベアの名前が、ルーズベルト大統領からきていることも知らなかった瞬が、興味深げに、紫龍を見詰め返す。

紫龍は、一度捉えた瞬の関心を氷河に奪われまいとするかのように、“テディベアの日”の説明を一気にまくしたて始めた。
「なんでもな、ある時、ルーズベルトが熊狩りに出たんだが、獲物を仕留めることができなかったそうなんだ。それで、お付きの者が、他のハンターが追い詰めた小熊を仕留める最後の一発を大統領に頼んだんだが、ルーズベルトは、『瀕死の小熊を撃つのは、スポーツマンシップにもとる』と言って、撃たなかったらしい。それが新聞に採りあげられて、どこぞの玩具メーカーが、そのエピソードにちなんで、ルーズベルトの愛称のテディを冠したクマのヌイグルミを発売したのがテディベアの始まりで、ルーズベルトの誕生日である10月27日をテディベアの日と定めたわけだ」


「…………」
瞬は、紫龍の説明を聞いて、おもむろに顔をしかめた。
それは、一般的な日本人――熊狩りをしたことのない日本人――なら、当然感じる不快感だったろう。

「それ、美談なの?」
瞬の疑念もまた、一般的日本人には至極当然のもの。

弱っている小熊の命を奪おうとしないのは、考えるまでもなく当然のことである。
しかし、弱っている小熊なら助けるが、元気で大きな熊の命なら奪っても構わないというのは、どう考えてもおかしい。それは、怪我をしている子供なら助けなければならないが、成人した大人なら殺してもいいと言っているのと同じではないか。
瞬には、アメリカ人の正義もアメリカ人の美談も全く理解できなかった。

そもそも、熊狩りという行為自体、何のためにするのか。
食べるため、その毛皮で暖をとるため、そうすることで自分の命を永らえるためというのなら、まだわかる。だが、その必要のない者が、生き物の命を奪うことにどんな意味があるというのだろう。

熊の命とスポーツマンシップ。
人はそのどちらにより大きな価値を見いだすものだろうか。
少なくとも瞬は、大統領のスポーツマンシップより、熊の命の方が大事だった。

別に瞬は成人君子ではない。
闘いも無いに越したことはないが、闘いが必要な時もあることくらいはわかっている。
人間が生きていくということが、他の生命の命を奪うことだということも知っている。
動物や植物の命を奪い、人間は生きているのだ。
そもそも、すべての動物は、呼吸することで空中の微生物を殺しているのだから。

それは仕方のないことである。
微生物の命を奪わないために呼吸をするなとは、誰もが誰にも言えない。
それと全く同じ理由で、肉や野菜を食べるなとも。
ライオンがガゼルを食い殺したところで、それは残酷ではないのだ。
ガゼルの命を奪わないために、ライオンに飢えて死ねと言うことの方がはるかに残酷ではないか。

だが、スポーツマンシップとは――。

「…………」
せっかくの明るく爽やかな秋の朝。
瞬は、自分には理解できない人間の傲慢というものに、思いきり気分が悪くなった。








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