バラの香りが、海からの潮の香りを掻き消してしまっている。 苦いキスで、瞬は意識を取り戻した。 ――血の味がする。 ぼんやりとそんなことを考えてから、瞬は、自分が誰に唇をなぶられているのかに気付いた。 それは、氷河の雪の味のするキスとは違っていた。 ねっとりと、瞬の舌に絡みついてくる血の味。 そして、絡みついてくる血の味よりも強く、瞬の感覚を刺激するものがあった。 アフロディーテの手が、瞬の身体の中心に、触れていた。 それは痛みを伴うような行為ではないはずなのに、瞬は、彼の手が蠢くたびに、まるで針で刺されているような、あるいは感電するような刺激に襲われた。 自分の手がどこにあるのかがわからない。 どこにあるのかわからない手を動かそうとして、アフロディーテを押しのけようとして、だが、瞬は、そうすることができなかった。 意識が、口中と、アフロの手の蠢いているところとに二分され、それ以外のところに向けることができない。 「あ……あ…」 アフロディーテの唇が離れる。 何かを言えるようになったはずなのに、瞬の唇から出てきたのは途切れ途切れの妖しい吐息だけだった。 思考がはっきりしない。 霞がかかったように、瞬は思考はぼんやりとしていた。 「無理に何かしようとしない方がいい。もう、君の身体はその意思を私の手に委ねてしまっているから」 「離して……その手…」 なぜか、瞬は、まとわりつくアフロディーテの手を自分では払いのけられなかった。 目を開けているのにも気力が要る。 目を閉じると、少しだけ楽になった。 代わりに、感覚も鋭くなり、いかにアフロディーテの指先が自分を心地良くしているのかがわかった。 「ああ……」 自分の手がどこにあるのかは相変わらずわからない。 触感だけが鋭敏になっていた。 自分に重なっているアフロディーテの身体の重みも感じる。 だが、アフロディーテの触れていない部分の自分の身体がどうなっているのかが、瞬にはどうしてもわからなかった。 「わからないのか? 君の手はここだ」 アフロディーテが、瞬の指を口に含む。 指のありかはわかった。 しかし、腕があることを感じることができない。 アフロディーテに触れられているところだけが認識できる。 指と、重なっている身体と、そして、彼の触れているもう一ヶ所。 「離してくださ……」 瞬は、その言葉を最後まで言うことができなかった。 その願いが聞き届けられたら、自分が消えてしまうような気がした。 それ以上に、彼に今、突き放されてしまったら、自分の身体が苦しむことになることがわかっていたせいだったかもしれない。 自分のものであるはずの呼吸が、遠くで荒ぶっているように思えた。 自分では認識できない自分の身体が悶え苦しんでいる。 そして、普段、自分の意思で動かせないはずの身体の一部だけが、ひどく活発に蠢いていた。 身体の内側――瞬の身体の内側――が、熱くたぎっていた。 「君は身体も攻撃的にできていないらしいな。初めてなんだろう? なのに欲しがっている。不思議な身体だ。確かに男の子なのに」 「あああ……っ!」 「ここに欲しいんだろう? 私のこれ」 瞬の混乱している意識はアフロディーテの言葉を理解できていないのに、瞬の身体の内奥は、彼の言う言葉を理解しているらしい。 瞬は、身体に引きずられそうになる意識を形にしようとして、そして、首を横に振った――つもりだった。 指なのか、舌なのか、それともそれは単なる言葉に過ぎないのか、ともかく何かが、瞬の身体の中に入り込み、からかうように悪ふざけを続けている。 そのたびに、瞬は、ないはずの身体を身悶えさせ、あらぬ喘ぎ声を発せずにはいられなくなった。 ふいに、足首のありかがわかる。 アフロディーテの手が、そこに触れた。 身体を大きく開かされたことが感じとれ、だが、瞬はどうすることもできなかった。 こんな時に、恐怖より羞恥の方が勝るのはどういうわけなのだろう。 そして、羞恥よりも、熱い心地良さの方が更に勝るのは。 誰かが、瞬の耳許に低く囁いた。 「そんなに意地を張るものじゃない……“瞬”……」 |