瞬は気付いていた。

氷河の小宇宙が近付いている。

アベルも当然気付いているはずだった。
だが、彼は、泰然と玉座に座して、動く気配も見せない。

瞬には、彼の考えていることがわからなかった。
大神ゼウスにも勝ると言われるほどの力を持つ太陽神は、これほどまでに増した氷河の力を歯牙にもかけていないというのだろうか。
そんなはずはなかった。
今の氷河の小宇宙は、アテナにも勝っている。

二人が闘った時、どちらが勝利するのかは、瞬には想像もつかなかったし、勝利の可能性は五分五分に思えた。
そして、それは、両者が傷付き倒れる可能性でもある。

長い沈黙に耐えられなくなって、そして、それよりも、二人の身を気遣って、瞬はそれまで堅く閉ざしていた口を開いた。
アベルの玉座の前に行き、一瞬ためらってから、太陽神に提案する。
それが、二人のためだと思った。

「──都合のいい要求だとは思います……けど、僕を氷河の許に返してくれませんか。そして、神々の世界を作ろうなんていう野望を捨ててくれませんか」

アベルは、玉座から動くことなく、じっと、瞬を見おろしていた。

拒絶されることはわかっていた。
神として在ることのプライドだけで生きているような彼が、そんな虫のいい要求を容れてくれるはずがない。

しかし、瞬が手に入れることのできた彼の返答は、ひどく思いがけないものだった。

「やっと……口をきいてくれた」
ほっと安心したように、アベルはそう呟いたのである。

彼は、この大変な時期に、ずっと、そんなことを気にかけていたというのだろうか。
驚きに目を見開いた瞬に、彼は静かに告げた。

「人間界を滅ぼすことはやめてもよい。私は、そんなものにはもう興味はない」
「あ……。ほ……ほんとに?」

戸惑い尋ねる瞬に、アベルがゆっくりと頷く。

「ただし、おまえが私の許にいることが条件だ」
「アベル……」

それは、無理な条件だった。
瞬が諾と言っても、氷河が受け入れまい。
そして、今は、瞬自身にも、その条件を飲むことはできなかった。

「それ以外の条件は受け入れない。だから……闘うしかないのだ」

「…………」
瞬は、反駁の言葉も、説得の言葉も、見つけることができなかった。

なぜ、アベルは“そんなもの”にこだわり続けるのだろう。
後悔と未熟とでできている、過ち多き非力な人間に?

瞬には、彼の気持ちがわからなかった。
否、わかっていた。
ただ、認めることができなかったのである。
強大な力を持つ神が──力弱く、互いを支え合わなければ生きていけない人間とは違うものであるはずの神が──そんなものを求めている──ということを。



「来たようだ」

やっと、アベルが玉座から立ち上がる。

なぜか、瞬には、太陽神の横顔が諦観を漂わせているように見えた。








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