「瞬、入ってもいいか」

瞬の返事など待たずにその様子を確かめたい焦りを抑えて、紫龍は、瞬の部屋の前で、部屋の主の返事を待った。
断りを得ずに室内に飛び込んで、瞬を困らせるようなものを見てしまうのを回避するために。

が、それはただの杞憂だったらしい。
入室を促す瞬の返事は、すぐに紫龍に与えられた。

もっとも、『世は事もなく平穏無事』というわけではなかったらしく、瞬は、ベッドの上にうつ伏せに倒れ伏していた。
幸い、着衣のままで。

「瞬……!」
瞬の枕元に、紫龍は足早に歩み寄った。

瞬が、瞼を開けているのも辛そうな様子で、心配しているというよりは怒りを抑えているといった方が正しい紫龍の顔を見上げる。

「また、氷河が何かしでかしたんだな? 大丈夫なのか」

「ん……うん……。何とか着替えだけはしたんだけど、立っていられなくて……。氷河は?」
「ダイニングにいたが」
「うわ……あれでまだ動けるの? どーゆー身体してるの、氷河ってば」

「…………」
いったい瞬が氷河にどういう折檻をされたのかを、紫龍は訊く気にはなれなかった。
代わりに、深い溜め息を漏らす。


「……俺にはわからん。なぜ、おまえがあんな奴を好きなのか。おまえには、もっと、大人で落ち着いた……」
「紫龍みたいな?」
「そんなことは言っていない」

瞬が、ベッドに伏したまま力無く、だが、明らかに楽しげな輝きを瞳に宿して微笑する。
それが、この深刻な事態を誤魔化すための笑みに見えて、紫龍は、僅かばかりの不快感を覚えた。


紫龍のそんな思いを察したのか、瞬はすぐに真顔になった。
そして、言った。
「……僕には、紫龍みたいな人の方が似合うんだって。氷河がそう言ってた」

「氷河が……?」
「だから、嫌なんだって。僕が紫龍といるの」

瞬が、顔の半分を枕に埋めて、気怠そうに瞼を伏せる。


「僕には、龍の血が流れてる……」

「なに?」
「……ってね、これも、氷河が言ってた」

「いったい、氷河は……」
自分の行動の理解を他人に求めない氷河が、普段何を考えているのか――。
紫龍には、それを察することすらできなかった。
否、これまで、紫龍は、氷河が何かを考えて行動を起こしているのだと思ったことすらなかったのだ。


「龍ってね、中国の龍じゃないよ。黄金の林檎を守ってる龍でもなければ、イアソンが倒した龍でもなくて、北欧神話の……ジークフリートを、その血で不死身にした龍」
「…………」

「僕自身は強くないのに、僕には、人を強くする力があるんだって。失礼な言い方でしょ」

瞬が強くないという見方はともかく、瞬に人を強くする力があるという氷河の意見には、紫龍も頷けた。
瞬は弱くはないが、闘いには向いていない。
闘いの場での瞬の強さは、むしろ悲愴でしかないのだ。
いっそ、弱かったなら――瞬は今よりもずっと幸福な人間でいられるだろうと思う。

だから、紫龍は、瞬に聖衣を着けさせたくなかったのだ。
闘いの場から離れた場所で、ただ仲間たちに力を与えていてほしかった。






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