「瞬、何が言いたいんだ?」

氷河だけではなく、瞬も。
今の紫龍には、氷河の言動の意味と訳を理解しているらしい瞬の考えも、汲み取ることはできなかった。

瞬が、先を急ぐ必要はないのだと言いたげに、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「氷河には……紫龍の目から見たら、いいとこなんてないんでしょ」

「…………」

「我儘だし、気紛れだし、傍若無人だし、横暴だし、人付き合いが下手な上に、口も悪い。おまけに、甘ったれだし、短絡的だし――短絡的に見えるし」

瞬は、言い直した。
実際は違うと思っている――のだろう。
どういう根拠があって、瞬がそう考えているのかは、紫龍にはわからなかったが。


「……否定はしない」

婉曲的であるが故に辛辣な紫龍の返事に、瞬は苦笑した。
そして、その苦笑を、すぐに消し去った。
代わりに、不思議に艶のある笑みを口許に刻む。

「人が人を好きになるのって、いろんな好きになり方があるよね。その人が、自分に似てるから好きになる人もいるだろうし、自分にないものを持ってるから好きになる人もいる。優れた美点を見つけて、そこを好きになる人も多いと思う。でも、僕は違うの。僕は、氷河に美点なんかなくてもいいの」

瞬が紫龍に見せている笑みの艶は、聖母像の持つそれに似ていた。

「馬鹿げた手相見の話、したでしょ? 僕が笑い飛ばしたら、氷河、何て言ったと思う? 『笑うな、馬鹿野郎!』だよ。『この俺が、おまえを自分のものにできるなら、土下座してもいいとまで思っているのに、それを笑い飛ばすとは、おまえは本当に俺の好きになった瞬なのか!』だって。……今、思い出すと、やっぱり、笑っちゃった僕の方が正しかったんだと思うんだけど――」

それでも、氷河のその馬鹿げた言葉を、瞬は忘れずにいるらしい。
そのまま、すぐに復唱できるほどに。

「僕、どうかしてたんだよね。なんか、こう……恥も外聞もプライドも全部捨てちゃって、ずかずか土足で――ううん、裸足で、かな――僕の中に入ってきた氷河に、心臓を鷲掴みにされたみたいな気持ちになって……それで、僕は、氷河を好きになったの。もうその一瞬だけで」

それは、紫龍には合点のいかない説明だった。
理路もなければ、道理もない。
人は、そんなふうに突然に、人を好きになるものだろうか。

少なくとも、紫龍は、そんなふうに人を好きになったことはなかった。
彼にとっての好意とは、時間の積み重ねによって培われる、もっと重厚な何かだったのだ。

「氷河もそうだったんだって」

「……おまえには、氷河と違って、いくらでも美点がある」
「ほんとだよね。こんなに優しくて、寛大な人間なんて、他にいないよ」

冗談めかして、瞬は言ったが、それは紫龍にしてみれば、事実以外の何物でもなかった。
瞬は寛大に過ぎ、広量に過ぎるのだ――氷河に対して。


「なのに、氷河が僕を好きになったのは、そんなの全然関係ないんだって」

美点であるはずの瞬の寛大さが、今は、紫龍の癇に障っているのだが。

「子供の頃にね、氷河が誰かと喧嘩して、追いかけまわしてて――氷河、その途中で転んだんだって。僕の目の前で。でね。それを見た僕が、火がついたように泣き出したんだって。転んだのは僕じゃなくて、氷河だったのに。それで、氷河は僕を好きになったんだって。――訳がわかんないでしょ?」

「…………」
瞬の言う通り、それは、紫龍には全くもって理解できない思考回路――感情の流れだった。


「手相よりおかしいよね。おかしいんだ、氷河は」

だが、瞬は、そういう氷河が好きで、自分がそういう氷河を好きでいることに些かの疑念も抱いてはいないようだった。

氷河の馬鹿げた逸話を語る瞬は、紫龍の目に、ひどく幸せそうに映った。






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