「天に蒼龍、白虎、朱雀、玄武のきざしあり。地にまた、龍、虎、鳥、亀たるもの、四星の精の降りて四獣として生まれる。虎、鳥、亀は神ならざるに、龍のみひとり神たるはなにゆえなりや」

それまでベッドに伏臥していた身体を仰向けにして、瞬がふいにその右の手を天に向ける。


「……? 王充の『論衡』か?」
「あ、さすが、よく知ってるね。そう、王充の『論衡』の龍虚篇」
「そんなものを読んでいるのか」
「僕は読んでないよ。氷河が教えてくれた」
「氷河が……?」

ニーチェの次は、王充。
よくわからない読書傾向である。

「氷河、いらない知識は腐るほど持ってるの。シベリアは退屈だったんだって」

「…………」
それは、退屈しのぎに選ぶ本ではない。
シベリアで、王充の書物など、そもそもどうやって入手したのかというところからして、紫龍にはわからなかった。

「十二支の中でも、龍だけが架空の生き物でしょ。龍って、特別な存在なんだよ。だから……」

瞬が、瞬時、口ごもる。
それでも、瞬が言葉を続けたのは、それが龍星座の聖闘士を貶めるための言葉ではないのだと言いたかったからなのだろう。

「だから、氷河は紫龍が嫌いなんだって。氷河にとっての龍は僕なのに……って」
そして、それもまた、理のないこじつけだと、瞬自身は承知しているらしかった。
「龍と龍がね、気が合いそうで嫌なんだって。白鳥は、特別な生き物でも何でもない、ありふれた存在だから」

氷河の馬鹿げた言葉を笑い飛ばしながら、それでも、瞬は、氷河のその言葉を嬉しく思ったのかもしれない。
そんなふうに、理も実もない言葉のやりとりが、恋人同士には、おそらく、楽しいことなのに違いないのだ。


「…………」

瞬が、あの支離滅裂な氷河を好きな理由。
人が人を好きになるのに、理由は――少なくとも、論理的に説明のできる理由は――必要のないものなのかもしれなかった。

だが、人が人を毛嫌いするのには、明確な理由があるものらしい。

氷河は、嫉妬していたのだ。
その嫉妬の内容は、紫龍が考えていたものとは、かなり違っていたが。


紫龍は、なぜか急に――氷河という男に好感を抱いた。






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