瞬はまだ、夢と現実の境界線の見極めがついていないようだった。
夢を現実と思い、現実を夢だと思わないことには、今の自分を確信できないのだから、それも当然のことだったろう。

腕の隠れる白い平服を身に着けて離宮のテラスに下りてきた瞬の足許は、どこか頼りなく危なげだった。

「氷河……あの……」
「今日はリュートの演奏でもいたしましょう。緊張をほぐすのによろしいかと」
「うん……」

瞬に何かを言わせてはならない。
問わせてはならない。
氷河は、素知らぬ顔で瞬に飲み物を勧め、先に持ってきておいたリュートの調弦を始めた。

氷河が、演奏自体より手間のかかるリュートの調弦をしている間、瞬は無言で氷河を見詰めていた。


あれは夢?
何も知らない?
ほんとに知らない?
見てなかった?
どこからどこまでがほんとにあったこと?


瞬は、言葉にせずに、氷河に尋ねてくる。
調弦の済んだリュートを手渡されてからも、瞬は胸の内で氷河に問い続けているようだった。

瞬の指が、押さえるべき弦を外す。
古い奏鳴曲の調べが、ふいに乱れた。

「ああ、そこは――」
瞬の視線を痛いほどに感じながら、氷河は、リュートを抱え持った瞬の背後にまわり、瞬が押さえ損ねた弦のポジションを、自分の手で押さえてみせた。
「瞬様はまだお手が小さいので、この曲は難しいかもしれませんね」

氷河の指が、瞬の手に触れる。
途端に、瞬は肩を強張らせ、弾かれるように、その手を楽器から離した。

明るい秋の庭に、不協和音が響く。

その音の不吉さを振り払うように、瞬は、氷河に、不自然な笑みを作ってみせた。
「この曲、僕には難しすぎるみたい。氷河が弾いてみせて。僕、聞いてる。その方が落ち着くから」
「…………」

瞬に乞われて、氷河はその弦楽器を瞬の手から受け取った。
巧みではあるが、どこか空虚な響きの奏鳴曲がふたりの間を流れていく。

瞬の瞳は、相変わらず、氷河に問いかけ続けていた。


知らない?
見てない?
僕たちは今まで通りでいられるの?


その息苦しさに、氷河は長くは耐え切れなかった。
氷河の代わりに高音の弦が、まるで悲鳴をあげるように切れ、奏鳴曲は中断された。

「氷河 !? 」
「し……失礼を……。どうも、弦が古くなっていたようです」
「切れちゃったの? 指は大丈夫?」

弦の切れた楽器を押さえたままの氷河の手を、瞬が覗き込んでくる。
氷河の視線の先で、瞬の薄茶の髪がさらりと流れ、細いうなじが露わになった。

あの愚劣な王が、片手でも捩じ折れると言い放った瞬の首筋の白さと艶めかしさに、氷河は息を飲んだ。


「弦を――取り替えてまいります」
掠れた声でそう告げ、場を取り繕うように立ち上がる。

「うん……」
逆光ではっきりとは確かめられない氷河の顔を、瞬は心配そうな眼差しで仰ぎ見た。






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