瞬の視線の届かない場所にやっとのことで辿り着くと、氷河は、些細なことで取り乱している自分の心臓への苛立ちを、初めて表情に表した。

(どうしたんだ、俺は……。これまでは、抑えていられた……)

だが、それは、自問するまでもないことだった。

これまで、氷河は、瞬に“それ”が受け入れられるはずがないと思っていた。
身分の違いを殊更自分自身に言い聞かせながら、実は身分などとは全く別の次元で。

身分を論じるなら、瞬は完全にリベラリストだった。
少なくとも氷河に対して、身分を嵩にきた態度を示したことはない。

氷河はただ、それを瞬に求めて、瞬に恐怖され嫌悪されるのを恐れていただけだった。
それが、杞憂だとわかったのである。
瞬に向かって手を伸ばせば、瞬はその腕の中に身を投げかけてきてくれることを、知ってしまったのである。

瞬を自分のものにしたいという氷河の願望が切実になるのは当然のことだった。

ハーデスの下で、氷河の名を口走っていた瞬の声、恍惚とした表情。
思い出すと気が狂いそうだった。

たとえ合意の上で同衾したとしても、泣かせ傷付けるだけだろうと思っていた。 
自分だけが欲望を満たして終わるだけだろうとも。
しかし、瞬は、男によって加えられる力と熱を喜悦に替える術と身体を持っていた。

抱きたいと思わない方がどうかしている。

抱きたい――父のように兄のように抱きしめるのではなく、犯したいのだ。

氷河には、自分は昨日今日瞬を知ったような輩とは違うのだという自負があった。
ずっと瞬を見守ってきた。
心だけなら、とうの昔に瞬に捧げ、受け入れてもらっていた。

その心の器を溶けあわせることができたなら、どれほどの悦びを自分たちは与え合うことができるだろう。

(あんな奴より俺の方が――もっと優しくしてやれる。もっと泣き叫ばせてやれる。もっと乱れさせてやれる。もっと――)

瞬に、いっそ死んでしまう方が楽だと思わせるほどの歓喜を教えてやりたいと、そうすることで、あの悪夢を忘れさせてやりたいと思ってしまう自分自身の心の底にあるものが、ただの男の欲望にすぎないことを、氷河は知っていた。
そして、自身を軽蔑した。






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