「そうやって、少しずつ公爵の記憶を撹乱しているわけか」

ハーデスの言葉を、氷河は、無言でいることで肯定した。

「意識上では夢だったと思わせることができても、身体は――」
「口数の多い男の相手をするのは御免だ。とっとと帰れ。これ以上、貴様の顔など見ていたくない……!」
「美貌で聞こえたこの私の顔を見ていたくないとは、やはり幼児趣味でもあるのか、騎士殿は」

そういう自分はどうなのだと言い返そうとして、氷河はそうするのをやめた。
そんなことを口にすること自体が不愉快ではあったし、そもそも瞬は既に幼児ではない。

テラスから続く部屋の椅子に人形のように座り込んでいる瞬をちらりと見やり、氷河は、それきり口をつぐんだ。

黙り込んでしまった氷河の前に、ハーデスが意味ありげな目をして、回り込んでくる。
そして、彼は、瞬に聞こえないように声をひそめた。
「――公爵の代わりをしてやろうか」

瞬とは似ても似つかない漆黒の瞳は、半ば以上真剣な輝きを呈していた。
「公爵の真似をして、氷河と呼んでやるぞ」

氷河には、それは、悪質な冗談としか思えなかったが。

「帰れっ!」
ハーデスがその場にいること自体に我慢がならなくなって、つい声を荒げる。

「氷河……?」
瞬の怒声に驚いたのは、ハーデスではなく、室内にいる瞬の方だった。
氷河が、足早に瞬の側に歩み寄る。

「あちらへまいりましょう、瞬様。ここには不愉快な男がおりますので」
「でも……」
「ライバルに手の内を見せる必要はござまいせん」


氷河の言葉よりも、その険しい表情に抗することができず、瞬は氷河の促しに従った。






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