まさか、この場では――と思う。

しかも、瞬が辞意を表明しているのであるから、ハーデスが王位に就くことを約束されたも同然の今日この時、ではないか。
こんな衆目の中で、王の暗殺に及ぶことに、いったいどんな意義があるというのだろう。

その上、ハーデスには、王を弑するための武器も持っていないはずだった。
選定場に入る際、武器の携帯については、貴族・重臣・学者の別なく調べられた。
もちろん、瞬とハーデスも例外ではなかった。
調べられなかったのは、王当人と王妃くらいのもののはずである。

王の御前から、王の許可も得ずに、自分の従者の側に駆け寄った瞬に呆気にとられていた貴族たちが、ざわざわと騒ぎ始める。

ハーデスは、慌てた様子もなく、その場を取り繕った。
「公爵殿は、酒の匂いがお嫌いで、杯を受けるのがお嫌らしい。酒はもっと大人になってからにしたいそうです」

選定場にいた傍観者たちが、ハーデスの説明にどっと沸く。
氷河はぎくりと身体を強張らせた。


王は、選定場の一段高いところにある玉座から、氷河と瞬が支え合ように寄り添っている様を一瞥したきり、不興の意を口にもしなかった。
氷河と瞬が必死に互いを支え合っていればいるほど、ふたりの間に楔を打ち込む行為を楽しめるとでも考えているかのようだった。

「しかし、これはしきたりで……」
侍従長だけが、式の次第を乱されたことに慌てていた。

「よろしいではありませんか、杯など」
王の隣りにいた王妃が口を挟む。
「陛下が、おふたりを王子として遇するとお決めになられたのです。この国に、そのご意思以上に意味のあることはありますまい。お可愛らしい公爵様に無理強いはお気の毒。今日は酒杯は主席侯爵殿だけで済ませましょう」

王が王妃に相槌を打つ。
「酒の味は、後で私が直々に教えてやろう」

王の叱責を受けることにはならないらしいと知った侍従長が胸を撫でおろすのが、選定場の隅に来ていた瞬にも見てとれた。

が、それよりも。
瞬は、王妃の声に聞き覚えがあった。
それは、以前、ハーデスの部屋で、彼を訪ねてきた女性の声だった。


「では、ハーデス」
王が、ハーデスを呼ぶ。

王は、そして、毒見役の老従僕が職務を済ませた杯を、その手に受け取り、傾けた。


その時を見計らっていたように、広い選定場に王妃の声が響き渡った。

「ハーデス!」






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