「何をしている、捕らえろ、反逆者だ!」 選定場の周囲にいる近衛の兵たちに、王衣を真紅に染めた王が命じる。 しかし、その声からは既に力が失われかけていた。 「手出しは許しません。この非道の王が死んだら、次の王は我が子ハーデスです。明日の我が身が可愛かったなら、大人しく控えていなさい!」 今では、その影の薄さで知られていた王妃の声音の方に、有無を言わさぬ力がある。 「そういうことです。父上」 皮肉に、ハーデスが王を父と呼ぶ。 「短い名乗りでしたが、そのお命をいただきます。黄泉の国で、あなたに命を奪われた兄たちに詫びてください」 ハーデスが、手にしていた短剣を、王の喉許を突き刺すために持ち替える。 自分の背にまわされている氷河の手に力が込もったことで、瞬はそれを悟った。 血を怖れてはいられない。 瞬は、氷河の手を押しのけて、玉座を振り返った。 そして、叫んだ。 「殺しちゃ駄目っ! きっと後悔するから!」 「今殺さねば、それこそ、後に後悔することになるかもしれない」 「そんなこと……。だって、死んだら何もかも終わりなんだよっ。取り返しがつかないんだよっ!」 その悲痛な叫びで、瞬が望んでいることを、氷河は今更ながらに認識した。 瞬はそれでも――ハーデスの境遇を知らされても――誰の死をも望んでいないのだ。 「ハーデス。瞬様の前で人殺しはするな」 瞬らしいと思う。 氷河には、それは、到底到達することのできない心境だったが、それが瞬の望みなのなら、その望みを叶えることが、氷河の務めだった。 「王様は生きてる方が辛いと思う。でも、生きてなきゃならないとも思う。だから……!」 しかも、瞬は、決して、自身の甘さから、王の生を望んでいるわけではないのだ。 だが、それが、今のハーデスにはわからないらしかった。 「ああ、公爵殿と騎士殿は光の中で生きておいでだ。だが、この男を生かしておいては、私の気が済まない。この下劣な男は、私のみならず、母の人生までも闇の中に放り込んだのだからな」 「だったら、なおさら! 王様が王妃様とあなたにひどいことをしたのなら、王様はそれを償わなきゃならない。でも、死ぬことでは償えない!」 瞬の訴えを遮ったのは、人もあろうに、瞬に命を庇われている王当人だった。 その手で打ちのめしたはずの瞬に庇われることが、彼の誇りを傷付けたのかもしれない。 それは、半ば自嘲を帯びた口調だった。 「ふん。構わんぞ。私はしたいことをしてきた。そなたの人生も、王妃の人生も、公爵の人生も、私がこの手で狂わせてやった。償いだと、この私が! 死んだ者たちの命も、捻じ曲がってしまったそなたたちの人生も、今更元には戻らないだろう」 |