それこそ風にも当てぬように守ってきた弟の涙を見せられて、帝国の王は観念した――ようだった。

「あー……。元はと言えばだな」
彼は渋々ながらに、そして心底嫌そうに、これまでの経緯を瞬に語り出したのである。


すなわち、2か月前、皇帝自らが軍を率いて行なった北方遠征は、実は胡人征伐のためではなかった――ということを。
瞬が考えていた通り、兄帝は胡人と手を結び、国内の反乱分子に抗することを目論んで、北に向かった――のだそうだった。
そして、国内の反乱分子に気取られぬよう、秘密裏に、胡人の統領と交渉の場を設けた。

二国間の国交、交易の場の取り決め、課税方法と国境の不可侵。
それらの事柄を、二つの国の統治者たちは、信頼できる臣だけを交えて話し合った。

「すべてが順調に進んでいたんだ。俺が……ちょっとした失言をするまでは」
「失言?」
瞬が反問すると、漢の皇帝は忌々しげに口許を歪めて頷いた。

「ほとんど話が決まりかけていた時に、俺がちょっと口を滑らせたんだ。胡の統領に、そんな青い目でちゃんとものが見えているのか――とな。侮辱するつもりはなかった。ただ、その統領というのが、若造のくせに、ひどく偉そうに構えている奴でな」

漢の皇帝は、胡人の統領の不遜な態度が気に入らなかったらしい。
そして、漢の帝の言葉に侮蔑を感じた胡の統領は、自分の目には、漢の無能な軍兵や皇帝などより、はるかに多くのものが見えていると反駁したらしい。
「あとは、売り言葉に買い言葉だ。奴は、漢人は猿みたいな顔をしているだの、背が低くて貧相な体つきをしているだのと、我々を侮辱するし、こっちも負けてはいられないから、胡人の肌は生っちろくて気味が悪いの、目が石のようで死人に見えるのと、言いたい放題をしてしまったんだ」

「兄さん……」
それが事実なのなら、瞬は呆れかえるしかなかった。
一国の長たる者たちが、国の未来を決める重要な場で、子供じみた喧嘩をしでかしてくれた――のである。
もし、その場に氷河がいたのだとしたら、初めて会った時、氷河が自分の外見を異様に気にしていたのは、そのせいだったのかもしれなかった。





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