「散々悪口雑言を言い合った後で、俺は、ちょうど遠征に持って行っていたおまえの絵を胡軍の統領の前に叩きつけてやったんだ。奴等が貧弱な猿のようだと馬鹿にする漢人の中にも、美形はいると――」 何よりもそれが大きな間違いだったと、帝国の支配者は大いに反省しているようだった。 「僕の絵?」 「そうだ。以前、西域風の画風をものにした絵師に、おまえの絵を描かせたことがあったろう。我が国の絵画より写実的で――なかなかいい出来だったが」 「あ……ええ」 「そうしたら、胡の統領が、その絵のおまえに一目惚れしたらしくて、おまえをよこせと言ってきた」 「…………」 瞬はそろそろ、言うべき言葉を見つけられなくなりつつあった。 「奴の図々しい要求に腹を立てた俺は、奴に言ってしまったんだな。機動性を誇り、漢軍をのろまの愚図のと言い切る胡の軍が、広大な我が国の包囲網を突破して、この未央宮にまで入り込み、おまえのいるところまで辿り着けたなら、無条件で国を開き、漢国内での胡人の権利を認めてやるし、おまえもくれてやると」 「そういうことだ。瞬!」 夢よりも馬鹿げた展開の終幕で、氷河の登場は、まるで時宜を計っていたかのような間の良さだった。 中原の大帝国・漢の王宮の玉座の間に続く扉が、ふいに大きく開け放たれる。 氷河が、そこに、仁王立ちに立っていた。 「あ……」 瞬は、一瞬、自分は白昼夢の世界に足を踏み入れてしまったのかと思ったのである。 それは、瞬の兄も同様だったらしい。 もっとも彼が見ているのは、最低最悪の悪夢のようだったが。 「き……貴様、どうやって、こんな奥宮まで!」 「言ったろう、俺たちは、でかいばかりで能無しな漢の軍隊とは違うんだと。瞬!」 展開が馬鹿げていようが、二つの国の支配者たちが揃いも揃って無謀軽率の粗忽者であろうが、そんなことは、瞬にはどうでもいいことだった。 夢にも現にも忘れることのできなかった人の姿を、手を伸ばせば届くほどの場所に見い出した者がすることは、ただ一つである。 「氷河……っ !! 」 瞬は、大扉の前に立つ人に向かって駆け出し、そして、その胸の中に飛び込んだ。 「しゅ……瞬―っっ !!?? 」 漢の皇帝が何やら大声で喚いていたが、瞬の耳にはそんなものは届いていなかった。 「氷河! 氷河、氷河、氷河っ !! 」 そして、夢の世界から飛び出てきた異国人の青い瞳にも、今は、彼の恋人の姿しか映っていないようだった。 普通なら無視するのも困難な騒音を、彼はあっさり無視してのけた。 「待たせたか?」 「あ……会いに来てくれないから、氷河が会いに来てくれないから、僕、もしかしたら、氷河が死んじゃったんじゃないかと……」 「ああ、すまなかった。もうすぐ、本物のおまえに会えるんだと思うと、寝ている時間も惜しくて、馬を走らせていた」 「そ……それに、兄さんが、胡の軍には、氷河なんて名前の人はいるはずないなんて言うし」 「俺の本当の名前は、漢人には発音しにくいらしいからな。咄嗟に、おまえに言いやすそうな名を名乗ったんだ。名前になど、大した意味はないと思ったし」 そう言ってから、氷河は、 「おまえの名は別だぞ。おまえの名だというだけで、それは特別なものだ」 と、かなり本気そうな目をして付け加えた。 ――願い続けていた出会いを出会った二人に、漢帝国の皇帝の存在は、ほぼ忘れ去られていた。 |