「そちらの部屋で待っていてくれ」
「あ、はい」

さすがに、この殺風景な空間は客間ではないのかと思いながら、僕は、氷河に指し示された部屋のドアを開けた。
そこは、寝室だった。
ベッドが一つ置いてあるだけの。

びっくりしたのは一瞬だけ。
僕は、その部屋から出ようとも思わなかった。
どうしてだか、僕は、そうなることを知っていたような気がした。

会うのは、今日が三度目。
彼が何者なのか、僕はほとんど知らない。
それでも。

部屋の入口で、僕は、後ろを振り返ることもできずにいた。
僕の背後にある氷河の視線が、僕にそうすることを禁じていた。
振り返らないとわからないはずの氷河の視線が、僕には感じとれる。
本当に、僕には、それがわかっていた。

首筋に、氷河の唇が押し当てられる。
僕は、びくりと身体を強張らせた。

その身体を捕まえるように、背中から、氷河の腕が僕を抱きしめる。
そして、あの長くて綺麗な指が、僕の制服のブレザーのボタンを外し始めた。

僕は、その手を振り払うことも――それどころか、自分の身体を身動みじろがせることさえ――できずにいた。

「逃げないのか」
氷河が尋ねてきた。
感情がまるで伴っていないような、それでいて、ありとあらゆる感情が込められてるみたいな、不思議な声で。

僕は何も答えなかった。

受け入れる――というのじゃない。
待っていた――のでもなかった。
期待していた――というのでもないと思う。
その時、僕を氷河に縛りつけていたのは、僕は氷河のこの青い瞳から逃げることはできないだろうという諦めに似た感情だった。


氷河は、僕の返答を待ってはいなかった。
身に着けていたものを脱がされて、ベッドに運ばれる。

氷河のあの青い目が僕を見ていた。
ずっと凝視している。

氷河の唇が僕の唇に触れた。
氷河の目は閉じられていたのに、それでも僕は『見詰められている』という感じを拭い去れなかった。

普通は、逃げようと考えるものなんだろうか。
嫌悪感を抱くものなんだろうか。
不自然だと思うものなんだろうか。
恐れるものなんだろうか。
僕は、女性とだって肌を合わせたことはない。

でも、この目から逃れることは絶対にできない。

――それだけはわかっていた。





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